人形町・神田周辺 お稲荷さん巡りスピンオフ編|Cグループ ちーこと蒼井

取材_ちーこと蒼井 AM長編(フィクション)
取材_ちーこと蒼井

―佐竹稲荷神社・真徳稲荷神社・大柳稲荷神社を巡る一日―

第7話:モノトーンの美学と、私服のカメラデートへの誘い

公開された第14.1サイクル「神田・日本橋周辺 お稲荷さん巡りスピンオフ」の特集ページは、秋田藩佐竹家の鬼門除けに端を発する歴史から、戦災や区画整理を乗り越えて町民たちが守り抜いた町衆の信仰まで、ビル群の谷間に息づく三社(佐竹稲荷神社・真徳稲荷神社・大柳稲荷神社)の深いドラマを鮮やかに描き出し、WEBメディア「癒しの場所へ」の読者たちから絶賛の声を浴びていた。

「見てください、チーフ! スピンオフ企画も大盛況です! 『御宿稲荷神社の周辺にこんなに深い歴史を持つお稲荷さんがあったなんて知らなかった! ビル街の路地裏を歩きながら三社巡りしたくなった!』って、コメント欄がすごい熱気ですよ!」 オフィスの中心で、まゆみがスマホの画面を嬉しそうに突き出す。その横で近藤も「いやあ、Bチームの藩邸文化と町民信仰の交錯を解き明かした考証、今回も読み応え抜群でしたね!」と満面の笑みを浮かべた。

その賑わいを少し離れた席から眺めながら、チーコは手元に置いたライカの一眼レフカメラのマットなボディを指先でなぞっていた。液晶画面には、先ほどから自分で撮影した佐竹稲荷神社の赤い鳥居や、真徳稲荷、大柳稲荷の佇まいをモノトーン調のシャープなコントラストで捉えた美しいカットが何枚も映し出されている。

(……記事の完成度は文句なし。Aチームの丁寧なレポートも、先輩たちの重厚な歴史考証も完璧。……だけど!)

チーコの中のプロカメラマンとしての、そして表現者としてのプライドが、またしてもふつふつと疼き出す。 (御宿稲荷神社だけじゃもったいないって言ったでしょ! 佐竹稲荷に真徳稲荷、大柳稲荷……神田・日本橋の路地裏にひっそりと息づくお稲荷さんたちを、私のモノトーン&ディープな色彩でまとめてカッコよく切り取りたいのよ! あのビル街のなかに眠る歴史のレイヤーを、私のファインダーでもっと最高のアートに昇華できるのに……!)

じっとしていられなくなったチーコは、カチャリとレンズキャップをはめると、一直線にデスクの向こう側に座る蒼井のほうへと歩いていった。

ヴィンテージライクなショートコートの裾をひらりとなびかせ、チーコは蒼井のデスクに両手をついた。またしても至近距離でその顔をのぞき込む。 「――チーフ」 「ん? なんだ、チーコ。まさか次のサイクルの企画書、もう締め切りだとか言うなよ?」 「そうじゃなくて!」

「おまっ、だからその距離感……少しは学習しろよ」 すっかりこのお決まりの距離感に慣れてきた蒼井は、呆れながらもわずかに頬を引きつらせて体を引いた。

「神田・日本橋のお稲荷さんたちのビジュアルです! 今の記事のカットも悪くはないけれど、私の新しいモノトーン&ディープな色彩表現を通して、佐竹藩の鬼門除けや町衆の絆のドラマを極限まで引き出したら、あの路地裏のロマンがもっと心に刺さる最高の作品になるんです! 悔しくて今夜も絶対眠れません!」 「いや、だから、すでに大反響を呼んでいる公式のスピンオフ特集記事だぞ。今さら何を……」 「ダメです! プロの表現者として、神田周辺のお稲荷さんたちが持つ本当の『都市の記憶と祈りのレイヤー』を私の手で余すところなく捉え直さないと気が済まないんです!」

熱っぽくまくし立てるチーコに、蒼井は盛大な溜息をついた。 「お前のその写真に対する底知れない執念は、もう骨身にしみるほど分かった。だがな、もう公式の連載は――」

「公式じゃありません、プライベートです!」 「プライベート?」 「そうです! 休日返上で、私服で、完全に個人の研究としてリサーチに行ってきます! ……あ、でも、神田の入り組んだ路地裏やビル群の間を一人で歩くのは少し心細いから、チーフ、私服で私のリサーチに付き合ってください!」

「なんだと……?」 「ほら、チーフだって、江戸の大名藩邸文化と町民信仰がどう交錯しているのか、もう一度現地の空気を吸いながら肌で感じておくべきです! 素晴らしい一日のためのロケハン兼、大事なお散歩なんですから!」

「いや、どう見ても完全にただのデートの誘いだろ、それ……しかも前回と全く同じ流れじゃないか!」 蒼井が鋭くツッコミを入れると、チーコはわざとらしく窓の外へ視線を逸らした。 「聞こえませーん! 明日の日曜日、朝十時に神田駅の北口ですからね! 遅刻したら私の高級ライカをチーフの私物入れに永久封印しますから!」

「おまっ、その脅し文句、いよいよレパートリーに完全定着しやがて……!」

半ば強引に、かつ最高に魅力的な笑顔で迫るチーコを前に、蒼井は降参したように深く椅子にもたれかかった。しかし、その耳たぶが前回よりもさらに真っ赤に染まっているのを、チーコは鋭いファインダー越しのような目で完璧に見逃していなかった。

(よし、今回も完全に私のペース……!)

心の中でガッツポーズをしたチーコは、「じゃ、明日の準備してきまーす!」と軽やかな足取りで自分の席へと戻っていく。 その背中を見送りながら、蒼井は小さく呻き声を漏らし、天井を仰いだ。

「まったく、いつの間に俺はあいつの術中に完全にハマる人生を送るようになったんだか……」

少し離れた席からそのやり取りの一部始終を生温かい目で見守っていた佐久間とやよいは、顔を見合わせてクスッと上品に微笑み合うのだった。

第8話:神田の秋晴れと、ビル群の路地裏で縮まる距離

日曜日、午前十時のJR神田駅北口。 約束の時間ぴったりに現れたチーコを見た瞬間、待ち合わせ場所に立っていた蒼井は思わず言葉を呑み込んだ。

今日のチーコは、秋の澄んだ青空に美しく映えるキャメル色のトレンチコートに、すっきりとした上品な黒のブーツという、動きやすさと大人の洗練が絶妙に同居する装い。首から下げた高級ライカの一眼レフカメラが、今日のデート兼リサーチという目的を引き立て、彼女の活発で凛とした雰囲気を一層際立たせている。

「お待たせしました、チーフ!」 少し小走りで駆け寄ってきたチーコが、パッと華やかな笑みを浮かべる。その眩しさに、蒼井はわずかに視線を逸らしながらも、照れくさそうに口を開けた。

「……あぁ、待ってない。その、なんだ……神田の落ち着いたオフィス街の雰囲気によく合ってるな、その格好」 「本当ですか? 佐竹藩の鬼門除けの歴史や、町衆が守ってきた路地裏の雰囲気に合わせて、今日は少しクラシカルで動きやすいコーディネートにしてきたんです!」 嬉しそうに目を細めるチーコに、蒼井は「行くぞ」とわざとそっけなく言い残して歩き出し、その後をチーコが弾むような足取りでついていく。

賑やかな大通りから一本脇の路地に入り、高層ビルの足元にひっそりと佇む佐竹稲荷神社の赤い鳥居をくぐると、先ほどまでの都会の喧騒が嘘のように穏やかな静寂に包まれた。

「わあ……写真で見ていたけれど、実際にこうして佐竹稲荷神社の境内に立つと、ビル群のまわりにあるとは思えないほど歴史の重みと温かみが感じられて……!」 チーコが感嘆の声を漏らしながらさっそくカメラを構え、鮮やかな赤い鳥居や社殿の佇まいを丁寧にファインダーに収めていく。

「ああ。秋田藩佐竹家が藩邸の鬼門除けとして勧請し、のちに大火や区画整理を乗り越えて町民たちが守り抜いた。大きな城郭の歴史とは違って、まさに都市のなかに息づく人々の祈りのレイヤーがこの小さな境内に詰まっているんだな」 蒼井が隣に並んで静かに呟くと、チーコはうなずきながらレンズのピントを微調整した。

「この神社たちが秘めている『武家と町衆の記憶』を、私のモノトーン&ディープな色彩ライティングで完璧に切り取ってみせます!」 チーコが意気揚々と一歩を踏み出そうとしたそのとき、足元の敷石のわずかな段差に軽く躓き、バランスを崩してふらりと大きくよろめいた。

「っと……危ないな」 瞬時に踏み出した蒼井の強い腕が、チーコの肩をしっかりと受け止める。 至近距離でぶつかった瞬間、ふわりと漂う柔らかな香りと確かな温もりが、蒼井の胸に飛び込んできた。

「あ……ご、ごめんなさい、チーフ……!」 見上げたチーコの見開かれた瞳が、すぐ目の前で揺れている。蒼井は支えた腕をどう動かすべきか迷いながら、ドクンと高鳴る自分の心音に焦りを覚えた。

「い、いや……怪我はなかったか? 路地裏は狭いから、あまり夢中になって足元が見えなくなるなよ」 「う、うん……ありがとうございます、チーフ」

耳たぶまで真っ赤に染めて小さく頷くチーコの姿に、蒼井はこれ以上ない動揺を隠せなかった。歴史ある静かな神田の境内のなかで、ふたりの間には甘く静かな空気が満ちていく。慌てて少しだけ距離を取るふたりだったが、一度縮まった心の距離は、そう簡単には元に戻らなかった。

「……こ、こうなったら、私もしっかり最高の写真を撮って、このドキドキをごまかさなきゃ!」 照れ隠しのようにカメラを構え直すチーコの横顔を見つめながら、蒼井はコートのポケットの中でそっと自分の胸元を押さえ、小さく熱い息を吐き出すのだった。

第9話:神田のレトロな隠れ家カフェと、お決まりのチャット通知

佐竹稲荷神社、真徳稲荷神社、そして大柳稲荷神社と、神田・日本橋のビル群の谷間にひっそりと佇む三社のお稲荷さんを隅々まで歩き、江戸の藩邸文化から町衆の絆に至る歴史のレイヤーをレンズに収め尽くしたふたりは、心地よい疲労感と満ち足りた気分に包まれながら、神田駅近くの裏通りにひっそりと佇む老舗の隠れ家カフェへと足を向けた。秋の穏やかな夕暮れの光が、アンティーク調の窓ガラスを優しい琥珀色に染め上げている。

「ふう……完璧に撮れました……! ビル街のなかに息づく赤い鳥居のコントラストも、下町の温もりも、私の理想通りのモノトーン&ディープな色彩で収まりました!」 チーコが満足げにカメラの液晶画面を確認しながら、パッと華やかな笑顔を咲かせる。 「お前のその写真に対する執念深さは毎度のことながら見事だが……まあ、妥協せずに最高の瞬間を切り取れたなら何よりだ」 蒼井も小さく笑みを浮かべ、首から下げたカメラバッグのストラップを軽く整えた。

「で、このあとは当然……お腹ペコペコですよね?」 チーコが上目遣いにキュッと首をかしげる。 「おいおい、また私の奢り前提かよ。前回のカフェのときと全く同じ台詞だな、お前は」 「当たり前じゃないですか! 神田の路地裏お稲荷さん巡りと、藩邸文化の歴史を完全網羅した特別なリサーチなんですから、ご褒美のごはん処は必須項目です。ほら、この近くにすごく素敵な老舗の隠れ家カフェがあるんですから行きましょう!」

蒼井は苦笑いを浮かべつつも、嫌な顔ひとつ見せない。むしろ、彼女と並んで歩けるこの穏やかな時間が心地よいことを、内心ではもうすっかり隠しきれずにいた。

ふたりが腰を下ろしたのは、神田の静かな通りに面した温もりあふれるレトロな喫茶店だった。 木製の小さなテーブル席に向かって座ると、すぐに香ばしい炭火ブレンド珈琲の芳醇な香りと、お店特製の香ばしい焼き菓子が運ばれてきた。

「わあ、美味しそう……! いただきます!」 チーコはフォークを手に、一口スイーツを運んで、「ん〜っ!」と幸せそうに目を細めた。「珈琲の深いコクと甘さが、歩き疲れた体にすごく染みます……! チーフも一口、どうぞ?」

自然な流れで差し出されたスプーンを前に、蒼井は一瞬たじろいだ。だが、目の前の温かな空間と、チーコのまっすぐで温かな瞳に押されて、観念したように素直に口を開ける。豊かな風味が口いっぱいに広がった。

「……確かに、美味いな」 「でしょ? こういう静かな隠れ家カフェって、歴史をたっぷり感じたあとのクールダウンに最高ですよね」

チーコは珈琲カップを両手で包み込み、それから少しだけ落ち着いた声でトロンと蒼井を見つめた。 都会の喧騒から離れたこの空間で、ふたりの間に心地よい沈黙が流れる。

「……私、このチームで写真を撮るようになって、本当に良かったって思ってます」 不意に落としたその真剣な言葉に、蒼井は動きを止めた。

ライバルとして、あるいは先輩と後輩として、色んな歴史の景色を巡ってきたこれまでの日々が脳裏をよぎる。

「最初は、先輩に巻き込まれて……って思ってたけど。こうして神田の路地裏を歩いて、大名屋敷から町の人たちへ受け継がれてきた祈りの重みも知って……何より、こうしてチーフと一緒に……」

チーコは言葉を濁し、指先でカップのふちを軽く撫えた。その頬が、夕暮れの光のせいだけでなく、ほんのりと赤く染まっている。

「……一緒に、色んな景色を見るのが、すごく大切で……私にとって、この時間は何よりもかけがえのないものになってます」

まっすぐに向けられた熱い瞳に、蒼井の胸の奥が激しく揺さぶられた。冷静沈着で通っているはずのチーフプロデューサーは、こういうストレートな言葉に対して、驚くほど無力だった。

「……俺もだ」 気づけば、絞り出すような低い声が口をついて出ていた。

「え……?」 「俺にとっても……お前とこうして神田の路地裏のお稲荷さんを巡る時間は、悪くない……いや、何よりも代えがたい時間だ」

少しだけ照れくさそうに視線を逸らした蒼井の言葉に、チーコは息を呑んだ後、これまでにないほど愛おしそうな、蕩けるような笑みを浮かべてみせた。

その瞬間――。 静かなカフェの空気を切り裂くように、蒼井のポケットから鋭い通知音が鳴り響いた。

ロマンチックな雰囲気を容赦なく打ち砕くその電子音に、蒼井が「っ……!」と顔をしかめてスマートフォンを取り出すと、画面には当然のようにあのチャットアプリが開いていた。

『チーフ、神田のビル街からレトロな隠れ家カフェにかけての甘い空気、バッチリ観測させてもらった。秋の路地裏の寒さも吹き飛ぶような、眩しい時間だったな』

オーナーからの容赦ないメッセージに、蒼井は頭を抱えた。「また見やがってあの野郎……!」 チーコがのぞき込んできた。「あ、オーナーからですか?」

画面にはさらに追い打ちのメッセージが光っている。

『なお、チーフのプライベート視察に対する労いとして、カフェの領収書データ、こちらも当然のごとく全額却下とする。自腹でしっかりと絆を深めるように』

「全くだ……完全に手の平の上だな、俺たちは」 頭を抱える蒼井を見て、チーコはクスッと声を上げて上品に笑った。

「ふふっ、オーナーさん、本当に絶妙なタイミングで邪魔してくれますね。でも……」 チーコはカップを置き、まっすぐに前を見据えた。

今日の分のカフェ代のお礼は、また次のサイクルでの最高な成果で返しますからね、チーフ!

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