御宿稲荷神社編|Cグループ ちーこと蒼井

取材_ちーこと蒼井 AM長編(フィクション)
取材_ちーこと蒼井

第7話:モノトーンの気品と、私服のカメラデート

公開された第14サイクル「御宿稲荷神社」の特集ページは、天正18年に徳川家康公が関東へ移封され、未知の江戸へ入る直前に宿をとったという歴史の原点、そして下町・人形町の温かな情緒を鮮やかに描き出し、WEBメディア「癒しの場所へ」の読者たちから絶賛の声を浴びていた。

「見てください、チーフ! 第5期の幕開けも大盛況です! 『大きな城郭の歴史とは違って、家康公が江戸に入る直前の隠れた足跡を知れてすごくロマンを感じた! 今すぐ人形町を歩きに行きたい!』って、コメント欄がすごい熱気です!」 オフィスの中心で、まゆみがスマホの画面を嬉しそうに突き出す。その横で近藤も「いやあ、Bチームの関東移封の背景を紐解いた考証、今回も最高でしたね!」と満面の笑みを浮かべた。

その賑わいを少し離れた席から眺めながら、チーコは手元に置いたライカの一眼レフカメラのマットなボディを指先でなぞっていた。液晶画面には、先ほどから自分で撮影した御宿稲荷神社の小さな赤い鳥居や、下町の路地裏をモノトーン調のシャープなコントラストで捉えた美しいカットが何枚も映し出されている。

(……記事の完成度は文句なし。Aチームの丁寧なレポートも、先輩たちの重厚な歴史考察も完璧。……だけど!)

チーコの中のプロカメラマンとしての、そして表現者としてのプライドが、またしてもふつふつと疼き出す。 (御宿稲荷神社の本質は、ただの小さな神社じゃないわ! 家康公が天下取りの直前に新しい挑戦へ踏み出した、すべての始まりの「静かなる決意の空間」なのよ! 私のシャープなモノトーン表現とディープな色彩ライティングを使えば、江戸開府前夜の緊張感とロマンを、もっと心に刺さる最高のアートに昇華できるのに……!)

じっとしていられなくなったチーコは、カチャリとレンズキャップをはめると、一直線にデスクの向こう側に座る蒼井のほうへと歩いていった。

「――チーフ」 「ん? なんだ、チーコ。まさか次のサイクルの企画書、もう締め切りだとか言うなよ?」 「そうじゃなくて!」

チーコは蒼井のデスクに両手をつき、またしても至近距離でその顔をのぞき込んだ。すっかりこのお決まりの距離感に慣れてきた蒼井は、「おまっ、だからその距離感……少しは学習しろよ」と呆れながらも、わずかに頬を引きつらせて体を引いた。

「御宿稲荷神社のビジュアルです! 今の記事のカットも悪くはないけれど、私の新しいモノトーン&ディープな色彩表現を通して、家康公が関東移封のときに抱いた決意のドラマを極限まで引き出したら、あの場所のロマンがもっと心に刺さる最高の作品になるんです! 悔しくて今夜も絶対眠れません!」 「いや、だから、すでに大反響を呼んでいる公式の特集記事だぞ。今さら何を……」 「ダメです! プロの表現者として、御宿稲荷神社が持つ本当の『江戸開府前夜の原点』を私の手で余すところなく捉え直さないと気が済まないんです!」

熱っぽくまくし立てるチーコに、蒼井は盛大な溜息をついた。 「お前のその写真に対する底知れない執念は、もう骨身にしみるほど分かった。だがな、もう公式の連載は――」

「公式じゃありません、プライベートです!」 「プライベート?」 「そうです! 休日返上で、私服で、完全に個人の研究としてリサーチに行ってきます! ……あ、でも、下町の路地裏や御宿稲荷神社の境内を一人で歩くのは少し心細いから、チーフ、私服で私のリサーチに付き合ってください!」

「なんだと……?」 「ほら、チーフだって、家康公が江戸入り前に宿をとった歴史の原点をもう一度現地の空気を吸いながら肌で感じておくべきです! 素晴らしい一日のためのロケハン兼、大事なお散歩なんですから!」

「いや、どう見ても完全にただのデートの誘いだろ、それ……しかも毎回全く同じ流れじゃないか!」 蒼井が鋭くツッコミを入れると、チーコはわざとらしく窓の外へ視線を逸らした。 「聞こえませーん! 明日の日曜日、朝十時に人形町の交差点ですからね! 遅刻したら私の高級ライカをチーフの私物入れに永久封印しますから!」

「おまっ、その脅し文句、いよいよレパートリーに完全定着しやがて……!」

半ば強引に、かつ最高に魅力的な笑顔で迫るチーコを前に、蒼井は降参したように深く椅子にもたれかかった。しかし、その耳たぶが前回よりもさらに真っ赤に染まっているのを、チーコは鋭いファインダー越しのような目で完璧に見逃していなかった。

(よし、今回も完全に私のペース……!)

心の中でガッツポーズをしたチーコは、「じゃ、明日の準備してきまーす!」と軽やかな足取りで自分の席へと戻っていく。 その背中を見送りながら、蒼井は小さく呻き声を漏らし、天井を仰いだ。

「まったく、いつの間に俺はあいつの術中に完全にハマる人生を送るようになったんだか……」

少し離れた席からそのやり取りの一部始終を生温かい目で見守っていた佐久間とやよいは、顔を見合わせてクスッと上品に微笑み合うのだった。

第8話:人形町の秋空と、ふたりの距離を縮める下町の静寂

日曜日、午前十時の人形町交差点。 約束の時間ぴったりに現れたチーコを見た瞬間、待ち合わせ場所に立っていた蒼井は思わず言葉を呑み込んだ。

今日のチーコは、秋の澄んだ青空に美しく映えるワインレッドのショートコートに、すっきりとした上品なスキニーパンツという、動きやすさと洗練された大人っぽさが絶妙に同居する装い。首から下げた高級ライカの一眼レフカメラが、今日のデート兼リサーチという目的を引き立て、彼女の活発で凛とした雰囲気を一層際立たせている。

「お待たせしました、チーフ!」 少し小走りで駆け寄ってきたチーコが、パッと華やかな笑みを浮かべる。その眩しさに、蒼井はわずかに視線を逸らしながらも、照れくさそうに口を開けた。

「……あぁ、待ってない。その、なんだ……人形町の活気ある下町の雰囲気にすごく似合ってるな、その格好」 「本当ですか? 家康公が関東移封のときにこの地で迎えた新しい挑戦の始まりに合わせて、今日は少しアクティブで上品なコーディネートにしてきたんです!」 嬉しそうに目を細めるチーコに、蒼井は「行くぞ」とわざとそっけなく言い残して歩き出し、その後をチーコが弾むような足取りでついていく。

賑やかな大通りから一本脇の路地に入り、下町の住宅街の一角にひっそりと佇む御宿稲荷神社の小さな赤い鳥居をくぐると、先ほどまでの喧騒が嘘のように穏やかな静寂に包まれた。

「わあ……写真で見ていたけれど、実際にこうして御宿稲荷神社の境内に立つと、ビル群のまわりにあるとは思えないほど温かくて、なんだかホッとする空気感……!」 チーコが感嘆の声を漏らしながらさっそくカメラを構え、赤い鳥居や社殿の美しい佇まいを丁寧にファインダーに収めていく。

「ああ。天正18年、家康公が未知の関東へ国替えを命じられ、江戸に入る直前にここで宿をとった。大きな城郭の歴史とは違って、まさにすべての始まりの緊張感と、束の間の静けさがこの小さな境内に詰まっているんだな」 蒼井が隣に並んで静かに呟くと、チーコはうなずきながらレンズのピントを微調整した。

「この御宿稲荷神社が秘めている『江戸開府前夜の決意の空間』を、私のモノトーン&ディープな色彩ライティングで完璧に切り取ってみせます!」 チーコが意気揚々と一歩を踏み出そうとしたそのとき、足元の敷石のわずかな段差に軽く躓き、バランスを崩してふらりと大きくよろめいた。

「っと……危ないな」 瞬時に踏み出した蒼井の強い腕が、チーコの肩をしっかりと受け止める。 至近距離でぶつかった瞬間、ふわりと漂う柔らかな香りと確かな温もりが、蒼井の胸に飛び込んできた。

「あ……ご、ごめんなさい、チーフ……!」 見上げたチーコの見開かれた瞳が、すぐ目の前で揺れている。蒼井は支えた腕をどう動かすべきか迷いながら、ドクンと高鳴る自分の心音に焦りを覚えた。

「い、いや……怪我はなかったか? 境内は狭いから、あまり夢中になって足元が見えなくなるなよ」 「う、うん……ありがとうございます、チーフ」

耳たぶまで真っ赤に染めて小さく頷くチーコの姿に、蒼井はこれ以上ない動揺を隠せなかった。歴史ある静かな下町の境内のなかで、ふたりの間には甘く静かな空気が満ちていく。慌てて少しだけ距離を取るふたりだったが、一度縮まった心の距離は、そう簡単には元に戻らなかった。

「……こ、こうなったら、私もしっかり最高の写真を撮って、このドキドキをごまかさなきゃ!」 照れ隠しのようにカメラを構え直すチーコの横顔を見つめながら、蒼井はコートのポケットの中でそっと自分の胸元を押さえ、小さく熱い息を吐き出すのだった。

第9話:人形町の老舗カフェと、お決まりのチャット通知

御宿稲荷神社の静謐な境内を隅々まで歩き、家康公が関東移封の道中で宿をとった歴史の原点や、江戸開府前夜の緊密な空気をレンズに収め尽くしたふたりは、心地よい疲労感と満ち足りた気分に包まれながら、人形町の路地裏にひっそりと佇むおしゃれな隠れ家カフェへと足を向けた。秋の柔らかな夕暮れが、温かな灯りのともるアンティーク調の窓ガラスを優しく照らし出している。

「ふう……完璧に撮れました……! 小さな赤い鳥居の佇まいも、下町の穏やかな夕暮れに包まれた空気感も、私の理想通りのモノトーン&ディープな色彩で収まりました!」 チーコが満足げにカメラの液晶画面を確認しながら、パッと華やかな笑顔を咲かせる。 「お前のその写真に対する執念深さは毎度のことながら見事だが……まあ、妥協せずに最高の瞬間を切り取れたなら何よりだ」 蒼井も小さく笑みを浮かべ、首から下げたカメラバッグのストラップを軽く整えた。

「で、このあとは当然……お腹ペコペコですよね?」 チーコが上目遣いにキュッと首をかしげる。 「おいおい、また私の奢り前提かよ。前回のカフェのときと全く同じ台詞だな、お前は」 「当たり前じゃないですか! 御宿稲荷神社の歴史深いお散歩と、家康公の関東移封のドラマを完全網羅した特別なリサーチなんですから、ご褒美のごはん処は必須項目です。ほら、この近くにすごく素敵な隠れ家カフェがあるんですから行きましょう!」

蒼井は苦笑いを浮かべつつも、嫌な顔ひとつ見せない。むしろ、彼女と並んで歩けるこの穏やかな時間が心地よいことを、内心ではもうすっかり隠しきれずにいた。

ふたりが腰を下ろしたのは、人形町の静かな通りに面した温もりあふれるカフェだった。 木製の小さなテーブル席に向かい合って座ると、すぐに芳醇な自家焙煎珈琲の香りと、お店特製の香ばしい焼き菓子やケーキが運ばれてきた。

「わあ、美味しそう……! いただきます!」 チーコはフォークを手に、一口スイーツを運んで、「ん〜っ!」と幸せそうに目を細めた。「甘さが上品で、珈琲にすごく合います……! チーフも一口、どうぞ?」

自然な流れで差し出されたスプーンを前に、蒼井は一瞬たじろいだ。だが、目の前の温かな空間と、チーコのまっすぐで温かな瞳に押されて、観念したように素直に口を開ける。豊かな風味が口いっぱいに広がった。

「……確かに、美味いな」 「でしょ? こういう静かな隠れ家カフェって、歴史をたっぷり感じたあとのクールダウンに最高ですよね」

チーコは珈琲カップを両手で包み込み、それから少しだけ落ち着いた声でトロンと蒼井を見つめた。 都会の喧騒から離れたこの空間で、ふたりの間に心地よい沈黙が流れる。

「……私、このチームで写真を撮るようになって、本当に良かったって思ってます」 不意に落としたその真剣な言葉に、蒼井は動きを止めた。

ライバルとして、あるいは先輩と後輩として、色んな歴史の景色を巡ってきたこれまでの日々が脳裏をよぎる。

「最初は、先輩に巻き込まれて……って思ってたけど。こうして御宿稲荷神社の静かな境内を歩いて、家康公が江戸に入る前の決意の重みも知って……何より、こうしてチーフと一緒に……」

チーコは言葉を濁し、指先でカップのふちを軽く撫えた。その頬が、夕暮れの光のせいだけでなく、ほんのりと赤く染まっている。

「……一緒に、色んな景色を見るのが、すごく大切で……私にとって、この時間は何よりもかけがえのないものになってます」

まっすぐに向けられた熱い瞳に、蒼井の胸の奥が激しく揺さぶられた。冷静沈着で通っているはずのチーフプロデューサーは、こういうストレートな言葉に対して、驚くほど無力だった。

「……俺もだ」 気づけば、絞り出すような低い声が口をついて出ていた。

「え……?」 「俺にとっても……お前とこうして江戸開府の原点を巡る時間は、悪くない……いや、何よりも代えがたい時間だ」

少しだけ照れくさそうに視線を逸らした蒼井の言葉に、チーコは息を呑んだ後、これまでにないほど愛おしそうな、蕩けるような笑みを浮かべてみせた。

その瞬間――。 静かなカフェの空気を切り裂くように、蒼井のポケットから鋭い通知音が鳴り響いた。

ロマンチックな雰囲気を容赦なく打ち砕くその電子音に、蒼井が「っ……!」と顔をしかめてスマートフォンを取り出すと、画面には当然のようにあのチャットアプリが開いていた。

『チーフ、御宿稲荷神社の小さな鳥居から人形町の隠れ家カフェにかけての甘い空気、バッチリ観測させてもらった。下町の秋風にも負けない、眩しい時間だったな』

オーナーからの容赦ないメッセージに、蒼井は頭を抱えた。「また見やがってあの野郎……!」 チーコがのぞき込んできた。「あ、オーナーからですか?」

画面にはさらに追い打ちのメッセージが光っている。

『なお、チーフのプライベート視察に対する労いとして、カフェの領収書データ、こちらも当然のごとく全額却下とする。自腹でしっかりと絆を深めるように』

「全くだ……完全に手の平の上だな、俺たちは」 頭を抱える蒼井を見て、チーコはクスッと声を上げて上品に笑った。

「ふふっ、オーナーさん、本当に絶妙なタイミングで邪魔してくれますね。でも……」 チーコはフォークを置き、まっすぐに前を見据えた。

今日の分のカフェ代のお礼は、また次のサイクルでの最高な成果で返しますからね、チーフ!

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