寛永寺 根本中堂編|Cグループ ちーこと蒼井

寛永寺根本中堂、ちーこと蒼井 AM長編(フィクション)
寛永寺根本中堂、ちーこと蒼井

第7話:重厚なファインダーの向こうに隠した、素直になれない心

公開された寛永寺・根本中堂の特集ページは、徳川家の菩提寺としての圧倒的な格式と、幕末の上野戦争という悲劇を乗り越えて明治期に復興を果たした「不屈の再生のドラマ」を見事に描き出し、WEBメディア「癒しの場所へ」の読者たちから絶賛の声を浴びていた。秘仏・薬師如来がもたらす癒やしの空気感と相まって、歴史の核心に迫る記念碑的な記事となっていた。

「見てください、チーフ! 記事の反響、過去最高レベルですよ! 『根本中堂の歴史の重みと、薬師如来様の温もりが文字越しに伝わってきて泣けた』なんてコメントまでついてます!」 オフィスの中心で、まゆみがスマホの画面を掲げながら大はしゃぎする。その横で近藤も「いやあ、Bチームの歴史解説との噛み合わせ、今回はマジで完璧でしたね!」と誇らしげに腕を組んだ。

その盛り上がりを少し離れた席から眺めながら、チーコは手元に置いた一眼レフカメラのグリップをぎゅっと強く握りしめていた。液晶画面には、先ほどから自分で撮影した根本中堂のテストショットが何枚も映し出されている。

(……記事は確かに素晴らしい。Aチームの直向きなレポートも、先輩たちの重厚な歴史考察も完璧。……だけど!)

チーコのなかのプロカメラマンとしての、そして何より妥協を許さない表現者としてのプライドが、またしても激しく疼き出す。 (両大師の「静寂と陰影」とは違って、根本中堂の本質は「幾多の戦火を潜り抜け、明治に再び蘇った不屈の生命力と、すべてを包み込む薬師如来の圧倒的な光の気配」だもの! 私のシャープな構図と、ミリ単位のディテール描写にこだわったレンズワークを使えば、このお堂が背負ってきた歴史の鼓動まで完璧に切り取れるのに……!)

じっとしていられなくなったチーコは、カチャリとレンズキャップをはめると、一直線にデスクの向こう側に座る蒼井のほうへと歩いていった。

「――チーフ」 「ん? なんだ、チーコ。次のサイクルの企画書なら、まだ提出期限には十分余裕があるはずだが」 「そうじゃなくて!」

チーコは蒼井のデスクに両手をつき、至近距離でその顔をのぞき込んだ。前回の反省を全く活かしていないその距離感に、蒼井は「おまっ、またかよ……学習能力って言葉をどこに置いてきたんだ、お前は」と盛大に頭を抱えて体を引いた。

「根本中堂のビジュアルです! 今の記事のカットも悪くはないけれど、私の新しいシャープな構図や、明治の移築建築が放つ木肌の力強さを極限まで引き出すライティングを通したら、あの歴史の核心がもっとドラマチックに、鳥肌が立つほど鮮やかに蘇るんです! 悔しくて今夜も絶対眠れません!」 「いや、だから、すでに特大ヒットを記録した公式の特集記事だぞ。今さら何を……」 「ダメです! プロの表現者として、あの不屈の聖地が持つ本当の『命の気配』を私の手で余すところなく捉え直さないと気が済まないんです!」

熱っぽくまくし立てるチーコに、蒼井は今度こそ盛大な溜息をついた。 「お前の写真に対するその鬼気迫る執念は、もう十分すぎるほど分かった。だがな、もう公式の連載は――」

「公式じゃありません、プライベートです!」 「プライベート?」 「そうです! 休日返上で、私服で、完全に個人の研究としてリサーチに行ってきます! ……あ、でも、徳川家の歴史の核心が眠る重厚な境内を一人で歩くのは少し心細いから、チーフ、私服で私のリサーチに付き合ってください!」

「なんだと……?」 「ほら、チーフだって、上野戦争を越えて復興した根本中堂の歴史的意義を、もう一度現場の空気を吸いながら肌で感じておくべきです! 素晴らしい一日のためのロケハン兼、大事なお参りなんですから!」

「いや、どう見ても完全にただのデートの誘いだろ、それ……! しかも前回と一言一句同じ流れじゃないか!」 蒼井が鋭くツッコミを入れると、チーコはわざとらしく窓の外へ視線を逸らした。 「聞こえませーん! 明日の日曜日、朝十時に上野駅の公園口ですからね! 遅刻したら私の高級レンズをチーフの私物入れに永久封印しますから!」

「おまっ、その脅し文句、いよいよレパートリーが増えてやがる……!」

半ば強引に、かつ最高に魅力的な笑顔で迫るチーコを前に、蒼井は降参したように深く椅子にもたれかかった。しかし、その耳たぶが前回よりもさらにハッキリと赤くなっているのを、チーコは鋭いファインダー越しのような目で完璧に見逃していなかった。

(よし、今回も完全に私のペース……!)

心の中でガッツポーズをしたチーコは、「じゃ、明日の準備してきまーす!」と軽やかな足取りで自分の席へと戻っていく。 その背中を見送りながら、蒼井は小さく呻き声を漏らし、天を仰いだ。

「……まったく、いつの間に俺はあいつの術中に完全にハマる人生を送るようになったんだか……」

少し離れた席からそのやり取りの一部始終を生温かい目で見守っていた佐久間とやよいは、顔を見合わせてクスッと上品に微笑み合うのだった。

第8話:重厚な本堂の前で交わす、不屈の約束

日曜日、午前十時のJR上野駅・公園口。 待ち合わせ場所に立っていた蒼井は、約束の時間ぴったりに現れたチーコを見て、思わず息を呑み込んだ。

今日のチーコは、上品なキャメルカラーのトレンチコートに、黒のタートルネックというシックで洗練された装い。首から下げられた一眼レフカメラが、歴史探訪という今回のテーマに完璧にマッチしていて、いつも以上に大人びた雰囲気を醸し出している。

「お待たせしました、チーフ!」 少し小走りで近づいてきたチーコが、パッと華やかな笑顔を咲かせる。その眩しさに、蒼井はわずかに視線を逸らしながらも、照れくさそうに口を開いた。

「……あぁ、待ってない。その、なんだ……よく似合ってるな、その格好」 「本当ですか? 根本中堂の重厚な佇まいや、明治に移築された歴史の深さに馴染むように、少し気合を入れて選んできたんです!」 嬉しそうに目を細めるチーコに、蒼井は「行くぞ」とわざとそっけなく言い残し、歩き出した。その後を、チーコは嬉しそうに弾む足取りでついていく。

上野公園の北西エリアへと足を進めると、木々の間にひときわ堂々とした偉容を誇る寛永寺・根本中堂の姿が姿を現した。

「わあ……写真で見ていたけれど、実際に目の前にすると、建物自体が発する気迫がすごい……!」 チーコが感嘆の声を漏らしながら、さっそくカメラを構えてファインダーを覗き、重厚な木組みや瓦屋根の美しい反りを慎重に捉えていく。

「ああ。ここはかつて比叡山延暦寺に匹敵する大伽藍を誇った寛永寺の核心であり、幕末の上野戦争の火災を乗り越えて明治期に復興を果たした場所だ。何度打ち砕かれても蘇ってきた、その『不屈の生命力』がこの建物には宿っている」 蒼井が隣に並んで静かに呟くと、チーコはうなずきながらレンズのピントを微調整した。

「この歴史の重みと、堂内に祀られている薬師如来様のすべてを包み込むような癒やしの気配を、私のシャープな構図で完全に切り取ってみせます!」 チーコが意気揚々と一歩を踏み出そうとしたそのとき、石畳のわずかな傾斜に足をとられ、体がふらりと大きくバランスを崩した。

「っと……危ないな」 瞬時に踏み出した蒼井の腕が、チーコの背中をしっかりと受け止める。 至近距離でぶつかった瞬間、ふわりと漂う柔らかな香りと確かな温もりヌが、蒼井の胸に飛び込んできた。

「あ……ご、ごめんなさい、チーフ……!」 見上げたチーコの大きな瞳が、すぐ目の前で揺れている。蒼井は支えた腕をどう動かすべきか迷いながら、ドクンと高鳴る自分の心音に焦りを覚えた。

「い、いや……怪我はなかったか? 境内は足元がしっかりしていないところもあるから、あまり夢中になって周りが見えなくなるなよ」 「う、うん……ありがとうございます、チーフ」

耳たぶまで真っ赤に染めて小さく頷くチーコの姿に、蒼井はこれ以上ない動揺を隠せなかった。周囲には参拝客の話し声が遠く聞こえるだけで、ふたりの間には甘く静かな空気が満ちていく。慌てて少しだけ距離を取るふたりだったが、一度縮まった心の距離は、そう簡単には元に戻らなかった。

「……こ、こうなったら、私もしっかり最高の写真を撮って、このドキドキをごまかさなきゃ!」 照れ隠しのようにカメラを構え直すチーコの横顔を見つめながら、蒼井はポケットの中でそっと自分の胸元を押さえ、小さく熱い息を吐き出すのだった。

第9話:上野桜木の古民家カフェと、変わらない温もり

寛永寺・根本中堂の重厚な佇まいと、そこに宿る不屈の生命力、そして薬師如来がもたらす癒やしの空気をカメラに収めきったふたりは、心地よい疲労感を覚えながら上野の杜をあとにした。秋の柔らかな夕陽が、長く伸びた影を静かな路地に映し出している。

「ふう……完璧に撮れました……! 堂宇の力強い木肌の質感も、境内に射し込む光のドラマも、私の理想通りの画が収められました!」 チーコが満足げにカメラの液晶画面を確認しながら、パッと華やかな笑顔を咲かせる。 「お前のその写真に対する執念には毎度恐れ入るが……まあ、妥協せずにやり切ったなら何よりだ」 蒼井も小さく笑みを浮かべ、首から下げたカメラバッグのストラップを軽く整えた。

「で、このあとは当然……お腹ペコペコですよね?」 チーコが上目遣いにキュッと首をかしげる。 「おいおい、また俺の奢り前提かよ。前回の隠れ家カフェのときと全く同じ台詞だな」 「当たり前じゃないですか! 根本中堂の歴史の核心と再生のドラマを完全網羅した特別なリサーチなんですから、ご褒美のごはん処は必須項目です。ほら、上野桜木の趣ある古民家カフェがすぐ近くにあるんですから行きましょう!」

蒼井は苦笑いを浮かべつつも、嫌々な様子は見せない。むしろ、彼女と並んで歩けるこの穏やかな時間が心地よいことを、内心では隠しきれずにいた。

ふたりが足を向けたのは、上野の杜から少し離れた上野桜木の閑静な一角に佇む、歴史ある古民家を改装した温かみのあるカフェだった。 木製の小さなテーブル席に向かい合って座ると、すぐに香ばしい自家焙煎珈琲の香りと、上品な和風スイーツが運ばれてきた。

「わあ、美味しそう……! いただきます!」 チーコはフォークを手に、一口スイーツを運ぶと、「ん〜っ!」と幸せそうに目を細めた。「甘さ控えめで、珈琲によく合います……! チーフも一口、どうぞ?」

自然な流れで差し出されたスプーンを前に、蒼井は一瞬たじろいだ。だが、窓の外に広がる夕暮れの街並みと、チーコのまっすぐで温かな瞳に押されて、観念したように素直に口を開ける。豊かな風味が口いっぱいに広がった。

「……確かに、美味いな」 「でしょ? こういう歴史ある街並みに溶け込んだ古民家カフェって、静かで本当に落ち着きますよね」

チーコは珈琲カップを両手で包み込み、それから少しだけ落ち着いた声でトロンと蒼井を見つめた。 穏やかな喧騒から離れたこの空間で、ふたりの間に心地よい沈黙が流れる。

「……私、このチームで写真を撮るようになって、本当に良かったって思ってます」 不意に落としたその真剣な言葉に、蒼井は動きを止めた。

ライバルとして、あるいは先輩と後輩として、色んな場所を巡ってきたこれまでの日々が脳裏をよぎる。

「最初は、先輩に巻き込まれて……って思ってたけど。こうして上野のあちこちを歩いて、東照宮の華やかさも、両大師の静寂も、そして今回の根本中堂の再生の歴史も知って……何より、こうしてチーフと一緒に……」

チーコは言葉を濁し、指先でカップのふちを軽く撫でた。その頬が、店内の温かなペンダントライトのせいだけでなく、ほんのりと赤く染まっている。

「……一緒に、色んな景色を見るのが、すごく大切で……私にとって、この時間は何よりもかけがえのないものになってます」

まっすぐに向けられた熱い瞳に、蒼井の胸の奥が激しく揺さぶられた。冷静沈着で通っているはずのチーフプロデューサーは、こういうストレートな言葉に対して、驚くほど無力だった。

「……俺もだ」 気づけば、絞り出すような低い声が口をついて出ていた。

「え……?」 「俺にとっても……お前とこうして歴史の景色を巡る時間は、悪くない……いや、何よりも代えがたい時間だ」

少しだけ照れくさそうに視線を逸らした蒼井の言葉に、チーコは息を呑んだ後、これまでにないほど愛おしそうな、蕩けるような笑みを浮かべた。

その瞬間――。 静かな店内の空気を切り裂くように、蒼井のポケットから鋭い通知音が鳴り響いた。

ロマンチックな雰囲気を容赦なく打ち砕くその電子音に、蒼井が「っ……!」と顔をしかめてスマートフォンを取り出すと、画面には当然のようにあのチャットアプリが開いていた。

『チーフ、根本中堂の前での告白めいた甘い空気、バッチリ観測させてもらった。上野桜木の古民家カフェの珈琲に負けない、濃厚な時間だったな』

「……また見やがってあの野郎……!」 蒼井が頭を抱えると、チーコがのぞき込んできた。「あ、オーナーからですか?」

画面にはさらに追い打ちのメッセージが光っている。

『なお、チーフのプライベート視察に対する労いとして、古民家カフェの領収書データ、こちらも当然のごとく全額却下とする。自腹でしっかりと絆を深めるように』

「全くだ……完全に手の平の上だな、俺たちは」 頭を抱える蒼井を見て、チーコはクスッと声を上げて上品に笑った。

「ふふっ、オーナーさん、本当に絶妙なタイミングで邪魔してくれますね。でも……」 チーコはフォークを置き、まっすぐに前を見据えた。

「今日の分のカフェ代のお礼は、また次のサイクルでの最高な成果で返しますからね、チーフ!」

窓の外に広がる夕暮れの空を眺めながら、ふたりの距離はもう、ただの先輩と後輩の枠を超えて、確かな未来へとしっかりと結ばれていたのだった。

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