第4話:繋ぐバトンと、先輩の背中
オーナーからのメッセージを合図にするように、オフィスの空気が次のフェーズへと引き締まった。
「さて、佐久間、やよい」
蒼井がテーブルに置かれたタブレットを指先で操作し、画面に五條天神社の境内図とAチームが作成した構成案を表示させた。
「Aチームの原稿は、読者の目線を惹きつける導入として完璧だ。だが、WEBメディアとして神社仏閣を正式に扱う以上、筋を通さなきゃならない。お前たちふたりには、社務所へ正式な取材のお礼とご挨拶、そして情報の補足取材を頼みたい」
「了解です。Aチームの記事で触れきれなかった、歴史の深い背景や神職さんの声を拾ってきます」
佐久間が頷き、手帳を取り出す。その落ち着いた佇まいに、先ほどまで緊張でガチガチだった近藤は思わず感嘆の眼差しを向けた。
「やよいさんは、特にどのあたりを掘り下げますか?」 蒼井の問いに、やよいはコーヒーカップを置いて穏やかに微笑んだ。
「そうね。五條天神社といえば、節分の『うけら神事』が東京都の無形民俗文化財にも指定されている歴史ある行事でしょう? 薬草の『うけら』を焚いて邪気を祓うという、医薬の祖神ならではのストーリーや、社務所でいただける健康長寿箸や病気平癒のお守りについて、神職さんの言葉を交えて優しく伝えられたらと思うわ」
「完璧だな。読者が『健康を願って足を運びたい』と思える、説得力と温かみのあるレポートを頼む」
蒼井の指示を受け、佐久間とやよいはスムーズに出発の準備を整え始めた。
機材の手入れを素早くこなす佐久間の横で、近藤がおずおずと声をかける。
「あの、佐久間先輩……僕たちの写真、手ブレや傾きがあってすみませんでした。補足取材、よろしくお願いします」 「気にするな、近藤。最初から満点を取れるやつなんていないよ。お前が一生懸命撮った写真があったからこそ、俺たちがどこを補足すべきか明確になったんだ。いいバトンをもらったよ」
ポン、と肩を軽く叩かれ、近藤の表情がパッと明るくなる。
一方、やよいはデスクで身支度を整えながら、まゆみに優しく声をかけていた。
「まゆみちゃん、取材ノート見せてもらったわよ。手水の作法の順番、すごく丁寧にメモしてあって助かったわ。社務所でのやり取りも、後でしっかり共有するからね」 「はい! やよいさんの文章、いつも優しくて大好きなので、勉強させていただきます!」 「ふふ、ありがとう。期待に応えられるように頑張ってくるわね」
ふたりのやり取りを見つめていたチーコが、カメラのファインダー越しに佐久間とやよいの姿をカシャリと捉えた。
「さすがBチーム、出発前から息がぴったり! やよい姉さん、佐久間くん、いってらっしゃ〜い!」
「行ってきます。……佐久間くん、忘れ物はない?」 「大丈夫です。社務所への手土産も持ちました。行きましょう、やよいさん」
先輩ふたりが並んでオフィスの扉をくぐる背中には、積み重ねてきた経験から生まれる揺るぎない信頼感が漂っていた。
初夏の爽やかな日差しが降り注ぐ中、ふたりは後輩たちの想いが詰まったバトンを手に、再び上野の杜へと歩みを進めた。
第5話:紡ぐ由緒と、静かな阿吽
午後の柔らかな光が差し込む上野恩賜公園。石段を降り、再び五條天神社の鳥居をくぐると、佐久間とやよいは自然と歩調を合わせた。
「午前中より少し西日が傾いて、境内の陰影が綺麗に出てきたな」 「そうね。まずは失礼のないように、社務所へご挨拶に伺いましょ」
ふたりは拝殿の脇にある社務所へ向かい、丁寧にインターホンを押した。 応対に出てくれた神職の方へ、佐久間が名刺と手土産を差し出しながら、落ち着いた声で頭を下げる。
「突然の訪問、大変失礼いたします。WEBメディアの取材でお伺いいたしました佐久間と申します。午前中に弊社の新人が撮影に伺わせていただき、大変お世話になりました」 「ああ、先ほどの初々しいおふたりですね。ご丁寧に恐れ入ります」
神職の穏やかな返答に、やよいが柔らかな笑顔で引き継ぐ。
「とても清々しい空気の中で撮影をさせていただいたと、ふたりとも感激しておりました。本日はその御礼と、ぜひ読者の皆さまに五條天神社さまの歴史と深いご縁起をお伝えしたく、少しだけお話を伺わせていただけますでしょうか」
やよいの物腰柔らかな言葉に神職の方も相好を崩し、快く取材に応じてくれた。
「当社の始まりは、日本武尊さまがこの忍が岡で、大己貴命さまと少彦名命さまのご加護に感謝してお祀りされたことにございます。日本神話における医薬の祖神ですね」 「病気平癒や健康祈願に訪れる参拝者の方が多いのも、そのご縁起からなのですね」
やよいがノートにさらさらとペンを走らせる横で、佐久間は邪魔にならない位置から、神職の方の温かい表情と社務所の佇まいを的確なアングルで静かに記録していく。
「ええ。特に節分に行われる『うけら神事』は、東京都の無形民俗文化財にも指定されております。薬草である『うけら』を焚き上げ、その煙で邪気を祓い、無病息災を祈る古式神事です」 「薬草を焚く煙……。まさに医薬の神様ならではの、理にかなった温かい祈りの形ですね」
深掘り取材を終え、丁寧にお礼を述べて社務所を辞したふたりは、境内の授与所前へと足を止めた。並べられた授与品の中に、端正な木箱に入った「健康長寿箸」と「病気平癒守」が並んでいる。
「佐久間くん、このお箸、すごく素敵。毎日の食事から健康を願うって、読者にもすごく身近に響くと思わない?」 「同感です。派手さはないけれど、日々の暮らしに寄り添う温かさがある。……あ、やよいさん、そのままお守りの方を少し見てもらえますか」
佐久間がファインダーを覗き、やよいが授与品を見つめる自然な横顔にピントを合わせる。カシャリ、と静かなシャッター音が境内に溶けた。
「ふふ、急に撮らないでよ」 「いえ、やよいさんの優しい雰囲気が、この神社の空気感にぴったりだったので」
さらりと言ってのける後輩男子の言葉に、やよいは少し照れくさそうに微笑みながら、授与所の案内板に視線を戻した。
「……佐久間くん、最近デスクワーク続きで肩や目が凝ってるんじゃない?」 「え? まあ、編集作業が立て込むと少し重くなりますけど……」 「健康の神様の前なんだから、無理は禁物よ。はい、これ」
やよいが指さしたのは、健康祈願の小さな絵馬だった。
「あとでオフィスに戻ったら、みんなで健康管理も見直しましょ。チーフも根を詰めがちだしね」 「そうですね。やよいさんには敵わないな」
お互いの役割を熟知し、言葉少なでも通じ合う信頼感。 西日に照らされた木漏れ日の下、ふたりは完璧に揃った取材メモと撮影データを手に、満足のいく足取りで境内を後にした。
第6話:重なる筆跡と、確かな敬意
「戻りました」
佐久間が静かにドアを開け、やよいとともにオフィスへ足を踏み入れた。
デスクで原稿の下書きと格闘していた近藤とまゆみが、弾かれたように顔を上げる。
「佐久間先輩、やよいさん! お疲れ様です!」 「お疲れ様。ふたりとも、頑張って書いてるわね」
やよいが穏やかに微笑みながら、バッグから取り出した資料と取材ノートをデスクに広げた。佐久間も手早くノートパソコンを立ち上げ、社務所で撮影してきた高解像度のデータを共有フォルダへと同期していく。
「近藤、まゆみ。ふたりが書いてくれた導入部分に、社務所で伺った『うけら神事』の歴史と、神職さんの想いを組み込んだ構成案を作ってみた。見てくれるか?」
佐久間が画面をふたりに向けた。 そこには、Aチームが捉えた「みずみずしい境内の空気感」を活かしつつ、Bチームが持ち帰った「医薬の祖神としての由緒」「無病息災を願う人々の歴史」が、やよいの紡ぐ温かくわかりやすい言葉で隙間なく編み込まれていた。
「……すごい」
まゆみが画面を見つめたまま、思わず感嘆の声を漏らす。
「私たちがただ『静かで綺麗』としか表現できなかった場所に、こんなにも深い歴史のストーリーがあったなんて……。文章がすっと心に入ってきて、神社の温かさが何倍にも伝わってきます」
近藤もまた、佐久間が撮影した写真の構図に目を奪われていた。
「社務所の佇まいも、授与品のお箸やお守りも、主役が際立つように光が計算されてる……。僕の写真とは全然違います。さすが佐久間先輩です!」 「近藤、お前が最初に撮ってきた全体のレイアウトがあったから、ピンポイントで必要なカットが狙えたんだ。これはチーム全員で作った原稿だよ」
佐久間の飾らない言葉に、近藤は胸を熱くしながら力強く頷いた。
「よし、これで五條天神社の特集記事、初稿完成だな」
奥から歩み出てきた蒼井がタブレット端末で全体のレイアウトをスクロールし、満足そうに頷いた。
「Aチームのフレッシュな視線と、Bチームの確かな取材力。見事な連動だ。読者が上野の杜へ足を運びたくなる、素晴らしい記事になった」
そのとき、壁際の大型モニターがピロンと澄んだ音を立てた。
『オーナーだ。提出された完成稿を拝読した』
全員の視線がディスプレイに集まる。
『Aチームの初々しい発見を、Bチームが誠実な筆致で完璧に昇華させたな。社務所への筋通しと「うけら神事」の掘り下げは見事。これぞ我がチームの取材力だ。読者の心に深く刺さる一記事になったと断言しよう』
「やった……!」 近藤とまゆみが顔を見合わせて小さくハイタッチを交わす。
『……ところで佐久間。やよいを撮影した写真、ピントの合い方が普段の風景写真より三割増しで気合が入っていたように見えたのは、私の気のせいか? まあ、良い画が撮れているから不問とするがな』
「ぶっ……!」
佐久間が思わず吹き出し、耳を真っ赤にして咳き込んだ。隣でやよいも「もう、オーナーったら……」と手帳で口元を隠しながら照れ笑いを浮かべる。
オフィスがどっと温かな笑いに包まれる中、モニターの前に立っていたチーコが、完成した記事の写真をじっと見つめていた。その瞳が、獲物を見つけた猫のようにキラリと輝く。
「……ねえ、チーフ」
チーコがくるりと振り返り、蒼井を見上げた。その声には、明らかに何かを企んでいる甘い響きが含まれていた。

