江戸時代の飯倉熊野神社
江戸の往来を見守った「飯倉の熊野権現」
結論からいうと、江戸時代の飯倉熊野神社は、現在のように「飯倉熊野神社」と呼ばれる以前、主に「熊野権現」「熊野宮」と称され、飯倉一帯の鎮守として信仰された神社です。 飯倉は東海道方面から虎ノ門・赤坂方面へ抜ける道筋として発展した地域で、その往来を見守るような場所に熊野信仰の社がありました。
今回、江戸時代編のちーこと恒一郎を登場させる舞台として調べると、重要なのが、熊野信仰・八咫烏・起請文・飯倉の町・旅や道中の安全です。
江戸時代には「熊野権現」と呼ばれていた
現在の正式社号は「熊野神社」ですが、江戸時代には、熊野権現あるいは熊野宮として知られていました。『江戸名所図会』にも「熊野権現宮」として登場し、飯倉町に鎮座する社として紹介されています。そこでは、養老年間に芝の海辺へ勧請され、その後現在地方面へ移されたという伝承が記されています。ただし創建年代については資料間で異説があります。
一方では養老年間(717~724年ごろ)に芝浦の海辺へ勧請されたという伝承があり、港区の歴史資料では応永年間(1394~1428年)の開創とされ、江戸氏の熊野信仰との関係も紹介されています。したがって、創建年を一点に断定することはできません。
飯倉という場所が面白い
江戸時代の物語を作るうえで、神社そのものと同じくらい重要なのが**「飯倉」という土地**です。
飯倉は現在の麻布台・東麻布付近にあたり、江戸時代には東海道方面から虎ノ門や赤坂方面へ向かう道筋の町として発達しました。つまり、ただ静かな村の鎮守だったわけではありません。
旅人。
商人。
武家。
荷を運ぶ人足。
寺社参詣へ向かう町人。さまざまな人々が行き交った土地です。
熊野三神を祀る神社
現在伝えられる主な御祭神は、
- 伊邪那岐大神
- 伊邪那美大神
- 武速須佐之男大神です。
熊野信仰は、紀伊半島の熊野三山を中心に広まった信仰です。中世から近世にかけて熊野詣は非常に盛んになり、熊野の神々は人々を救済へ導く存在として信仰されました。
したがって江戸時代の飯倉熊野権現でも、厄除け、災難除け、道中安全、家内安全、といった願いを託す物語が非常に作りやすくなります。
物語で特に重要になる「八咫烏」
熊野神社を象徴する存在として知られるのが、八咫烏(やたがらす)です。三本足の烏として知られ、神話では神武天皇を熊野から大和へ導いた存在とされています。そのため現代では、道を導く、正しい方向へ導く、という象徴として語られることがあります。
飯倉熊野神社も八咫烏を社紋としており、現代には日本サッカー協会とのつながりからサッカー御守でも知られています。もちろん、これは現代の話なので江戸編にはそのまま持ち込めません。しかし、「道を導く八咫烏」という熊野信仰そのものは、江戸時代編で非常に魅力的なモチーフになります。
江戸時代には「牛王宝印」が重要だった
ここが、飯倉熊野神社を物語化するうえでかなり面白い部分です。熊野信仰には、熊野牛王符(くまのごおうふ)と呼ばれる護符があります。
飯倉熊野神社でも、かつて牛王符が出されていたとする記録があり、江戸幕府では将軍就任後の大名や、役人交代などに際して、この牛王符を用いて起請文を作成したという伝承が紹介されています。
起請文とは簡単にいえば、神仏へ誓いを立てて書く誓約書です。約束を破れば神罰を受ける――。それほど重い意味を持っていました。
元禄16年の火災
飯倉熊野神社の由緒については、元禄16年(1703年)に火災で記録などが焼失したため、詳しい創建事情が分からなくなったと紹介する資料があります。
江戸時代の境内は現在より存在感があった可能性
現在の飯倉熊野神社は比較的コンパクトな境内ですが、『江戸名所図会』には飯倉熊野権現として比較的大きな社殿・境内が描かれていると紹介されています。
したがって江戸編では、現在のビルに囲まれた神社の姿ではなく、鳥居をくぐり、木々の間に社殿があり、参詣人が行き交い、飯倉の道を往来する人々の声が聞こえる――そんな風景として描いた方が自然です。
ただし、正確な社殿寸法や境内配置について、今回確認できた公開資料だけでは断定できません。
ここは史実部分と情景描写を分けて扱います。
江戸時代・飯倉熊野神社の物語に使える要素
| 要素 | 物語での使い方 |
|---|---|
| 熊野権現 | 江戸時代の呼称 |
| 飯倉 | 商人・武家・旅人が行き交う舞台 |
| 熊野信仰 | 厄除け・無事を願う参拝 |
| 八咫烏 | 道を示す象徴 |
| 牛王符 | 誓い・約束のキーアイテム |
| 起請文 | ちーこと恒一郎の「将来の約束」に使える |
| 火災 | 再建・人情物語へ展開可能 |
| 商家 | ちーこの三ツ葉屋との接点 |
| 見回り | 恒一郎の仕事と自然につながる |
資料確認日:2026年8月12日。
主な参照先は港区デジタルアーカイブ、江戸名所図会を紹介する資料、飯倉熊野神社関係資料です。創建年代など異説のある部分は断定していません。

