第一章:根津神社(つつじの小径と、千本鳥居を潜る主役の誓い)
第1節:文豪の路地と、つつじ苑のグラデーション
五月上旬の爽やかな晴天。新緑の風が下町の家々の軒先を優しく吹き抜ける午後。
『東京十社めぐり』の新たな連載企画の第一弾として、チームケロのプロデューサー・佐久間学と、ライター・ヤヨイの2人は、根津駅から下町ならではの路地を歩き、根津神社の表参道へと足を踏み入れていた。
一歩鳥居をくぐれば、そこは都心の喧騒が嘘のように遮断された、江戸の気が清らかに満ちる広大な神域だった。
徳川五代将軍綱吉公によって造営された絢爛豪華な社殿(重要文化財)へと続く参道の脇には、この神社の代名詞でもある「つつじ苑」が広がっている。約100種3000株ものツツジが、ピンク、白、濃い赤、紫といった鮮やかなグラデーションを描き出し、風にそよぐたびに甘く爽やかな香りを漂わせていた。
「はぁ……っ! 佐久間君、見てちょうだい! 根津駅からほんの数分歩いただけで、こんなに緑豊かで美しい江戸の神域が広がるなんて……。このつつじ苑の色彩の絵の具を溶かしたような美しさ、夏目漱石や森鴎外といった文豪たちがこの根津や千駄木の街でペンを走らせた気持ちが、言葉を紡ぐ者として胸が痛いくらいにわかるわ」
白地に凛と咲く朝顔模様のクラシカルなワンピースを纏ったヤヨイが、細い指先で丸眼鏡の位置を直しながら、感嘆の息を吐いた。彼女の片手には、授与所で授かったばかりの『月次花御札(つきなみはなみふだ)』が大切に抱えられている。五月のツツジが描かれた、端正な木札の邪気払い。
「ええ。根津神社は古くから江戸城の真北を守護する結界であり、日本の文学と文化を育んできた聖地です。ヤヨイさんの新連載『東京十社めぐり』の第一弾に、これ以上の舞台はありません」
木々模様の落ち着いたジャケット姿の佐久間が、ヤヨイの重い資料バッグと取材ノートの入った巾着を、片手で当たり前のように背負い直した。
「四月のつつじ祭りから始まり、二月の初午祭、六月と十二月の大祓、七月の涼やかな風車まつり、そして九月には徳川家宣公が天下祭として定めた伝統の例大祭……。根津神社の年中行事はどれも歴史の宝庫です。ヤヨイさん、この月次花御札は12ヶ月毎月違う花が授与されるそうですから、これからの季節も僕と一緒に、一冊のノートを埋めるように授かりに来ましょう」
そう言うと佐久間は、人混みのなかでヤヨイの足元を気遣うように、そっと自分の左手を差し出した。ヤヨイは丸眼鏡の奥の瞳を愛おしそうに細めると、迷いなくその腕に優しく手を重ねた。
第2節:乙女稲荷の千本鳥居と、白蛇守を包む手のひら

つつじ苑の小径を抜け、いよいよ「乙女稲荷神社」の参道へと差し掛かる。
目の前に現れたのは、鮮やかな朱塗りの鳥居がまるで幻想的な光のトンネルのように隙間なく連なる「千本鳥居」の隧道(ずいどう)だった。
この乙女稲荷神社は、境内のなかでも特に恋愛成就や良縁祈願の強力なパワースポットとして知られ、連なる千本鳥居を潜り抜けることで心が清められ、素晴らしいご縁が結ばれると伝わっている。
鳥居の朱色のトンネルへ足を踏み入れると、外の喧騒がふっと遠のき、朱色の柱の間から差し込む5月のやわらかな木漏れ日が、2人の影を幻想的な赤に染め上げていた。
狭い鳥居の柱の陰で、ふと2人の足が止まる。
「不思議ね……。この乙女稲荷様の千本鳥居のトンネルをくぐっていると、まるで身体の中のノイズがすうっと清められて、特別なご縁の光に包まれていくような感覚になるわ。朱色の連続が本当に綺麗……。……佐久間君、さっき拝殿の脇にあった『願掛けカヤの木』と、この乙女稲荷様で、あなた、一体何をお願いしていたの?」
ヤヨイがそっと見上げると、佐久間はいつもの真面目で端正な顔立ちのまま、まっすぐにヤヨイの瞳を見つめ返した。
「……ヤヨイさんの紡ぐ美しい言葉が、この東京十社めぐりを通じて世界中の人の心を温めること。そして……この恋愛成就と縁結びの乙女稲荷様の前で、仕事の後輩という言い訳を捨てた僕が、一生かけてヤヨイさんを陰の盾となって支え抜く『生涯の主役』になれますように、と祈りました。……それと、これを受け取ってください」
佐久間がジャケットのポケットからそっと取り出したのは、心願成就と良縁を授ける、品格ある『白蛇守(はくじゃまもり)』だった。
佐久間は狭い千本鳥居の陰で、ヤヨイの手のひらに白蛇守を乗せると、そのまま彼女の手を直にガチッと力強く包み込んだ。剥き出しの、胸が熱くなるほどの男らしい体温。
「あ……白蛇様のお守り……っ! 佐久間君……っ、乙女稲荷様の前でそんな真っ直ぐな言葉、どこまでも直球で男前なんだから。丸眼鏡が嬉しさで曇っちゃうじゃない。……私のこれからの十社めぐりのノート、あなたという頼もしい主役さんでいっぱいにするわね」
朱色の光に包まれた千本鳥居のトンネルのなかで、重なる手と手。乙女稲荷のご神徳に引き寄せられるように、お互いの存在が、これからの人生のどんな向かい風をも溶かす強固な絆となって結ばれていった。
第3節:門前の古民家カフェと、一生離れない主役の誓い

境内の「願掛けカヤの木」や重厚な楼門を巡り、歴史ある社殿への参拝を終えた2人。根津神社の鳥居を出て目と鼻の先にある、下町の風情を残す落ち着いた古民家カフェへと足を進めた。
通りに面した静かな席に腰を下ろすと、冷たい抹茶ラテと和スイーツのガラス器が心地よい音を立てる。
「ふぅ……美味しくて、体に染み渡るわね。佐久間君、あなたの完璧なリサーチとエスコートのおかげで、私たちの『東京十社めぐり』の第一章は最高のスタートを切れたわ。プロデューサーとしても、一人の男性としても、本当に頼もしいわね」
ヤヨイは巾着から取り出したペンを握りながら、頬をほんのり桜色に染めて微笑んだ。
「いいえ、ヤヨイさんの情熱と美しい言葉があったからです。……ヤヨイさん、先ほどの白蛇守のように、そしてこの根津神社が江戸城を護り続けてきたように、僕もあなたをハラスメントや都会の冷徹なノイズから一生守り抜きます。仕事のパートナーとしても、生涯を共にするパートナーとしても、僕の隣から絶対に離れませんから」
「ふふ、もう離れるつもりなんて最初から一切ないわよ、佐久間君。次の『芝大神宮』や『赤坂氷川神社』へ向かう旅路も、ずっと私をエスコートしてね、私の生涯の主役さん」
新緑の爽やかな風が門前のカフェの軒先を吹き抜けていく。
根津神社の豊かな歴史とツツジの色彩に彩られた2人の絆は、これからの長い巡拝の旅路、そして一生涯続く愛のノートへと、どこまでも美しく紡がれていくのだった。

