東京十社群像譚(白山神社編)『江戸の残り香、未来のノート』

白山神社、鳥居、佐久間とやよい 長編(フィクション)
白山神社、鳥居、佐久間とやよい

第八章:白山神社(白山権現の爽やかな朝と、平日限定に結ぶ誓い)

第1節:迷いなき白山道と、白山権現の慈悲

白山神社、本殿、佐久間とやよい
白山神社、本殿、佐久間とやよい

五月半ばの清々しい平日の朝八時半。文京区の閑静な街並みに、初夏の爽やかな風が吹き抜けていた。 都営三田線の白山(はくさん)駅A3出口を地上へ出ると、目の前に凛と立つ『白山神社』の大きな社号標が二人を出迎えていた。

「はぁ……っ! 佐久間君、見てちょうだい! 白山駅を出てすぐ立派な社号標が見えて、本当に迷わずすんなり来られたわね!」

白地に細やかな朝顔模様があしらわれた涼やかな着物に、うす紫色の羽織を重ねたヤヨイが、丸眼鏡の位置をそっと直しながら声を弾ませた。胸の前には、いつもの取材ノートと愛用のカメラが入った巾着を大切そうに抱きしめている。

「ええ。白山神社は天暦二年の奉勧請以来、この街のシンボルとして鎮座してきました。文京区の『白山』という地名も駅名も、すべてこの白山神社が由来となっているのですから、迷うはずがありませんよ」

木々模様の落ち着いたジャケット姿の佐久間が、ヤヨイの重い機材巾着と資料バッグを、いつものように自然な動作で片肩へ背負い直した。

「ヤヨイさん、鳥居をくぐる前に……この神社の歴史に刻まれた『白山権現(はくさんごんげん)』の名をご存知ですか?」

「白山権現……神仏習合の時代の呼び名ね?」

「はい。奈良時代、修験道の開祖・泰澄(たいちょう)大師が加賀の霊峰・白山で観音様の慈悲を感得されたのが始まりです。仏が人々を救うために神の姿となって現れた『白山妙理権現』……。明治の神仏分離まで、ここは観音様の深いお心と山の霊力を宿す、神仏一体の聖地だったのです。五代将軍・徳川綱吉公とその母・桂昌院様が病気平癒を祈願して見事全快されたのも、その強大な権現様の霊験あってこそでした」

「観音様の慈悲と、山のご利益……! 神様と仏様がひとつになって人々を包み込んでいた歴史を知ると、鳥居の向こうから漂う空気の深みが一味違って感じられるわね」

佐久間は優しく頷くと、力強い左腕を差し出した。ヤヨイはその腕に慈しむように細い手を重ね、白山権現の静けさが満ちる参道へと一歩を踏み出した。

第2節:朝九時前の日常、参道を上る学生たちの清々しさ

参道の石段に足を踏み入れたその時、二人の脇をトントントンと軽やかな足音が追い抜いて行った。

近くにある東洋大学の学生だろうか、リュックを背負った若い女性や、パリッとしたシャツを着た会社員が、参道の階段をリズミカルに上っていく。彼らは拝殿の前で一礼し、パンパンと手打を打って短く静かに手を合わせると、清々しい表情でそのまま駅の方へと向かって行った。

「あら……っ! 佐久間君、見てちょうだい……!」

ヤヨイが歩みを止め、丸眼鏡の奥の瞳を虹色に輝かせた。

白山神社、本殿、佐久間とやよい
白山神社、本殿、佐久間とやよい

「朝の九時前だというのに、こんな風に日常の通勤・通学の途中で静かに参拝されていくのね。お祭りや特別な日だけじゃない、街の人々の暮らしに溶け込んだこの静かな祈りの風景……なんて温かくて清々しいのかしら」

「ええ。白山権現の時代から千年以上、この神社は『地域の暮らしを守る神様』として、人々の朝を見守り続けてきたのです。ヤヨイさんの描くコラムにも、この日常の清々しい風が吹き込むような素晴らしい切り口になりますね」

「ええ……っ! 権現様の歴史と、現代の朝の登校風景……私のノートに、この感動をそのまま書き留めておきたいわ!」

少女のように頬を染めて微笑むヤヨイ。佐久間はその愛らしい横顔を心の底から愛おしそうに見つめると、重ねられたヤヨイの手をそっと包み直した。

第3節:平日限定の激レア御朱印と、佐久間の完璧なプロデュース

白山神社、参道、佐久間とやよい
白山神社、参道、佐久間とやよい

拝殿で深く頭を下げ、白山権現の静かな神気と人々の平穏を祈願した二人。 時計の針がちょうど九時を指した頃、二人は静かに社務所へと向かった。

受給口で受け取った御朱印帳を開いたヤヨイは、そこに躍る端正で凛とした「白山神社」の墨書と朱印に、思わず息をのんだ。

「はぁ……っ! なんて気品に満ちた素晴らしい御朱印なのかしら……! でも、佐久間君。白山神社の御朱印って、土日祝日は受付けしていなくて『平日のみ・時間指定あり』という、東京十社の中でも本当に珍しくて貴重な授与ルールなのよね。よくこの平日の朝の時間を狙って取材スケジュールを組んでくれたわ!」

ヤヨイが感嘆の声をあげると、佐久間は満足そうに口元を緩め、どこか誇らしげに胸を張った。

「ふふ、プロデューサーですから。ヤヨイさんが『欲しい』と願う特別な御朱印を、最も静かで美しい平日の朝に、完璧な段取りで手配する……それくらい僕にとっては当然の役目です。君との特別な取材時間を平日から完璧にプロデュースするのが、僕のプロとしてのプライドですから」

「あ……佐久間君……っ! 仕事の顔をしてそんなスマートで男前なこと言われたら、朝の境内の中で胸がドクンって跳ねちゃうじゃない……っ」

仕事のパートナーとしての頼もしさと、一人の男としての甘い包容力。そのギャップに、ヤヨイの耳たぶまでほんのり朱色に染まっていく。

第4節:菊理姫命の「くくる」約束と、紫陽花へ向かう未来

御朱印を授かった二人は、六月には約三千株の紫陽花が咲き誇るという「富士塚」と白山公園の緑の広がりをゆっくりと散策した。

「主祭神の菊理姫命(ククリヒメノミコト)様……『日本書紀』で喧嘩をした伊弉諾・伊弉冊の夫婦神様を仲裁して、見事に和解させた『結びと和合』の女神様なのよね。『くくる(括る・結ぶ)』という強いご利益があるけれど、これから初夏に向けて咲く紫陽花の花びらが寄せ集まってひとつの大きな大輪になるみたいで、本当に素敵な神様ね」

ヤヨイが新緑の葉を優しく見上げながら呟く。

白山神社、本殿、佐久間とやよい
白山神社、本殿、佐久間とやよい

すると佐久間は、授与所で密かに拝受していた『菊理姫の縁結び守り』と、手渡されたばかりの御朱印帳をヤヨイの手のひらにそっと乗せた。そして、そのまま彼女の華奢な指先ごと、自身の大きな手でガチッと力強く包み込んだ。

「あ……佐久間君……っ?」

「ヤヨイさん。この参道を往復する学生さんたちのように、特別な日だけでなく、僕たちの日常の朝も、これからの未来も……僕は一生あなたと手を取り合って歩んでいきたいです。喧嘩を和解させ、縁を結び付ける菊理姫様のように、僕たちの絆を一生固く『括り結んで』離しません。……僕の人生の主役は、一生ヤヨイさん、あなただけです」

「……っ、もう! 朝の清々しい白山権現の境内で、そんなプロポーズみたいな言葉……っ。どこまでもズルいくらいに男前なんだから。丸眼鏡が嬉しさで曇っちゃうじゃない。……私だって、あなたと括り結ばれたこの縁、死ぬまで解くつもりなんて一切ないわ!」

東洋大学のチャイムの音が遠く爽やかに響き渡り、白山権現の境内に初夏の温かな風が吹き抜けていく。 平日限定の静寂と和合の女神に見守られた二人の絆は、六月に咲き誇る紫陽花の花々のように、どこまでも色鮮やかに、そして永遠に結ばれていくのだった。

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