【佐久間&ヤヨイ 取材本編】
『隅田の川風と千三百年の神明宮——初冬の青空に広がる都鳥の調べ』
第一章:台東区を越えて南千住へ——冬晴れの水辺に佇む古社
十二月初旬の午前。どこまでも高く澄み渡った冬晴れの空の下、吹き抜ける風にはピンと張りつめた心地よい冷気が宿っていた。 吉原の情緒を残す街並みを抜け、北東へと歩みを進めた二人は、白鬚橋の袂、隅田川の水面がきらめく川沿いの地へと辿り着いた。 濃紺の地に雪輪模様をあしらった冬仕立ての上品な着物に身を包み、大判のストールを羽織ったヤヨイは、丸眼鏡の位置を指先で直しながら、広々とした境内の入り口で足を止めて嬉しそうに微笑んだ。
「まあ……! なんて清々しい冬晴れかしら! 佐久間君、浅草名所七福神の巡礼でありながら、ここ石浜神社だけは台東区を越えて荒川区南千住に鎮座しているのね。同じ浅草の神仏を巡る旅なのに、行政の境目をふっと跨ぐこの感覚……なんだか特別で面白いわ」
木々模様のシックな冬ジャケットに身を包んだ佐久間学は、ヤヨイの重い取材用カメラバッグを軽やかに肩に担ぎ直し、隅田川から吹き寄せる爽やかな川風を受けながら穏やかに頷いた。
「ええ。浅草名所七福神・九社寺の中で唯一、荒川区に位置する社です。神亀元年——西暦七百二十四年に聖武天皇の勅願によって創建されたと伝わり、今年で千三百年を越える途方もない歴史を誇る都内屈指の古社ですよ。『石浜神明宮』や『朝日神明宮』の通称でも親しまれてきました」
「千三百年……! 奈良時代からずっと、この隅田川のほとりで人々の祈りを見守り続けてきたのね」
ヤヨイは胸元から取材ノートを取り出し、澄んだ青空を背景にペンを走らせた。
第二章:富士遙拝所の霊峰と、都鳥の歌碑に刻まれた歴史
二人は安永八年(一七八〇年)建立の珍しいカマボコ型の神明鳥居をくぐり、清らかな手水で身を清めて拝殿前へ。 天照大御神と豊受姫神を祀る本殿に二拝二拍手一拝を捧げ、続いて社殿内に鎮座する浅草名所七福神の「寿老神」へと深く手を合わせた。 二千歳の玄鹿(黒い鹿)を従え、穏やかな白髪白髯をたたえた寿老神の御神像は、不老長寿と無病息災、そして人生を健やかに生き抜く知恵の光を静かに放っている。
「寿老神様の穏やかなお顔を拝見していると、年の瀬の気忙しさがすうっと消えて、心が洗われるようだわ」
「ええ。そしてヤヨイさん、この境内には千三百年を物語る貴重な開運スポットが今も息づいています。こちらへどうぞ」
佐久間に案内され、ヤヨイが足を運んだのは境内の一角にある「富士遙拝所」だった。 宝暦八年(一七五八年)に築かれたというその場所には、富士山の黒々とした溶岩(黒ぼく)が組まれ、江戸庶民の富士山への篤い信仰を今に伝えている。
「宝暦年間の富士講の遺跡……! 富士山に登るのと同じ功徳が得られる場所なのね。そしてあちらにある優美な石碑は……」
「文化二年に建てられた『都鳥歌碑』です。平安の昔、在原業平が東下りの折、この石浜の渡しで詠んだ『名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと』の歌が刻まれています。源頼朝の奥州征伐の祈願や中世の石浜城の歴史など、武将の志と文人の情趣がこの土壌に重なり合っているのです」
「遠い都を想う業平の心、戦勝を祈る頼朝の覚悟、そして富士を拝む江戸の人々の祈り……。すべてがこの川沿いの青空の下に溶け込んでいるのね」
ヤヨイは愛用の万年筆を走らせ、歴史の折り重なりを丁寧にノートへ刻み込んだ。
第三章:広重の田楽とスカイツリー——変わらぬ光を未来へ
境内の東側へ歩みを進めると、隅田川の雄大な流れの向こう側に、冬の陽光を浴びて銀色に輝く東京スカイツリーがくっきりとそびえ立っていた。
「現代のシンボルであるスカイツリーと、千三百年の古社……。過去と現代がひとつの視界に美しく収まっているわ」
「ええ。そして江戸時代、この地にあった真先稲荷の門前で大評判となり、歌川広重の浮世絵にも描かれた名物があります。取材の一休みに、あちらへ行きましょう」
佐久間がエスコートしたのは、境内に美しく佇む和モダン茶房「石濱茶寮 楽」。 ふたりはテラス席に腰掛け、復刻された名物の「豆腐田楽」と温かいお茶をいただいた。香ばしい木の芽味噌の香りと熱々の豆腐の甘みが、冬風で冷えた身体にじんわりと染み渡っていく。
「ん……! お味噌がとても香ばしくて、優しいお味! 江戸の人たちも、こうして川風を感じながら田楽を頬張って笑顔になっていたのね」
「その笑顔の記憶もまた、この神社が紡いできた歴史の一部です」
佐久間はヤヨイのノートを見つめ、静かで温かな声で言葉を重ねた。
「台東区の賑やかな七福神めぐりから、荒川区のこの広やかな水辺へと足を伸ばすことで、巡礼の旅に雄大な広がりが生まれました。ヤヨイさんの澄んだ言葉が、この千三百年続く神社の息吹を、読者の心へと届けてくれるはずです」
「佐久間君が一緒に歩いて、歴史の扉をひとつずつ開いてくれるからよ。……この素晴らしい景色と言葉を、大切に届けていきましょうね」
冬晴れの青空と隅田川の煌めき、そして寿老神の長寿の神気に見守られながら、ふたりは互いの信頼を深め、次なる巡礼地への確かな歩みを誓い合った。

