【第一部:佐久間&ヤヨイ 取材短編】
『白銀の大根が清める無辺の欲望と、毘沙門天の利剣——待乳山の丘に誓う不退転の覚悟』
山谷堀の緑道を抜け、隅田川を望む小高い霊峰・待乳山の山門をくぐると、石段を登る参拝者の列が途切れることなく続いていた。二〜三年前に比べても格段に増えた人々の熱気が、境内の木立を揺らしている。 淡い藍色の単衣の着物に身を包んだヤヨイは、丸眼鏡を指先で直しながら、本堂へと続く石段を見上げて深く息を吸い込んだ。
「十回以上お参りしていても、この石段を登るたびに胸が引き締まるわね、佐久間君。推古天皇の御代、金色の龍が舞い降りて一夜にして湧き出たという待乳山。浅草寺よりも古いこの聖地には、他とは一線を画す特別な厳格さが満ちているわ」
木々模様のシックなサマージャケットを着こなす佐久間学は、寺務所で求めた瑞々しい一本の生大根を両手で恭しく抱え、静かに頷いた。
「ええ。本尊・大聖歓喜天(聖天様)は、人間の怒りや欲望、あらゆる現世の苦悩を大いなる慈愛へと転換し、どんな不可能な願いでも成就させてくださる最強の霊験を持ちます。正月の三が日に振る舞われる香り高い御神酒、そして一月七日の『大根まつり』で振る舞われる熱々のふろふき大根と特製味噌……。あの長蛇の列に並んでいただいた大根の湯気と温もりは、まさに聖天様の無上の慈悲そのものでしたね」
「本当にそうだったわね……。身も心も芯から温まって、涙が出るほど美味しかった。でも、だからこそ聖天信仰には『決して軽はずみな気持ちで足を踏み入れてはならない』という厳しい戒めがあるのよね」
本堂へと上がり、ご宝前に一本の白大根をお供えした二人。堂内には厳修される「浴油祈祷」の微かな胡麻油の香りと、お香の煙が満ちている。 二人は深く頭を垂れ、本尊の脇侍として邪鬼を踏み据える浅草名所七福神の「毘沙門天」の凛々しき尊像に手を合わせた。
「一度心願を立ててご利益をいただきながら、途中で心変わりをして不信心になったり、不義理を働いた者には、二度と御神徳は降りない……。それどころか厳しい戒めを受けるとも言われる真剣勝負の神仏です。ヤヨイさん、あなたが紡ぐ言葉への覚悟も、まさにこの聖天信仰と同じですね」
「ええ、佐久間君。読者の心に届く物語を書くということは、途中で投げ出したり誤魔化したりしないという、一生をかけた覚悟だわ。どんな時代の波が来ても、私はこの筆を折らない」
ヤヨイの凛とした誓いに、佐久間は低く温かな声で寄り添った。
「あなたのその不退転の覚悟を、僕が生涯をかけて支え続けます。僕の心変わりも、未来永劫あり得ません」
参拝を終えた二人は、本堂脇の授与所で前日にお供えされた「おさがり大根」をありがたく一体受け取った。 朱色の印が押されたその大根を抱え、境内の向こうにそびえるスカイツリーを望みながら、二人は言葉の巡礼を完遂する確かな絆を深め合っていた。

