鷲神社 (東京・台東区千束)参拝Short_Story

鷲神社、佐久間とやよい 短編(フィクション)
鷲神社、佐久間とやよい

『浅き春のおとりさまと、なでおかめの微笑み——寿老人の知恵を宿す筆先』

三月初旬の浅草・千束。まだ肌寒さの残る風の中に、かすかな春の匂いと梅のつぼみがほころび始めていた。酉の市のあの熱狂的な喧騒が嘘のように、平日の境内には凛とした静寂が満ちている。 桃色の差し色が入った上品な春単衣の着物にストールを合わせたヤヨイは、丸眼鏡の位置を指先で直しながら、樋口一葉の文学碑の前に佇み、愛用の取材ノートを開いた。

「『たけくらべ』の美登利たちが駆け抜けた千束の風……。十一月の酉の市の大賑わいも素晴らしいけれど、三月のこの澄んだ空気の中でお参りするおとりさまも、背筋がすっと伸びるような格別の神気があるわね」

木々模様のシックなジャケットを着こなす佐久間学は、ヤヨイの手荷物を優しく預かり、社殿を見上げながら穏やかに微笑んだ。

「ええ。日本武尊が東征の戦勝を祝い、松に熊手をかけて勝ち戦を寿いだのが酉の市の起源。そしてここには、人々に知恵と長寿を授ける浅草名所七福神の『寿老人』様がお祀りされています」

拝殿へと進み、並んで二拝二拍手一拝を捧げた二人。その視線の先、堂内に鎮座する名物の木彫り「なでおかめ」の巨大な面が、福々しい笑みを浮かべて二人を迎えていた。

「まあ……! これが撫でる場所によってご利益が変わるという『なでおかめ』様ね。おでこは学問、目は先見の明、鼻は金運、右頬は良縁、左頬は健康……」

ヤヨイが感嘆の声を漏らすと、佐久間はそっと手を伸ばし、おかめの『目』を優しく撫でた。

「佐久間君、目を撫でたの?」

「ええ。ヤヨイさんの澄んだ瞳が、これからも時代の本質を美しく見通し、素晴らしい物語を捉え続けられますように……と願って」

「佐久間君ったら……」

ふっと頬を染めたヤヨイは、愛おしそうに手を伸ばし、今度はおかめの『左の頬』をそっと撫でた。

「私はね、佐久間君の健康をお願いしたわ。私の前をずっと歩いてエスコートしてくれるあなたが、健やかでいてくれないと困るもの」

「……ありがとうございます。最高の御神徳をいただきました」

佐久間は低く柔らかな声で微笑み、ヤヨイの指先を包むように温かい視線を交わした。 社殿の奥から見守る寿老人の温和な神気と、なでおかめの優しい笑顔。三月の柔らかな陽光に包まれながら、二人は言葉の旅を共にする絆を静かに深めていった。

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