第十章:富岡八幡宮(熱狂の水掛け祭りと、横綱の碑に誓う未来への旅立ち)
第1節:深川八幡祭りの熱狂と、伊能忠敬像前での「旅立ち」
八月中旬の真夏の太陽が、青空から眩しく照りつけていた。 東京メトロ東西線「門前仲町駅」の地上へ躍り出た瞬間、佐久間学とヤヨイの全身を包み込んだのは、腹の底まで響く太鼓の音と、打ち水が巻き上げる香ばしい熱気だった。
「ワッショイ! ワッショイ!」の威勢の良い掛け声が街中に谺(こだま)し、沿道からはバケツやホースで担ぎ手たちへと清めの水が容赦なく浴びせかけられている。水飛沫が日光を浴びて七色の虹を描き、粋な半纏を纏った江戸っ子たちの熱気が参道を埋め尽くしていた。
「はぁ……っ! 佐久間君、見てちょうだい! この飛び散る水の美しさと、街全体がひとつになった圧倒的な熱気……っ! これが江戸三大祭りの筆頭、『深川八幡祭り(水掛け祭り)』なのね……!」
白地に朝顔模様の涼やかな着物にうす桃色の羽織を合わせたヤヨイが、丸眼鏡の位置を直しながら、感動に瞳を潤ませて声を張り上げた。胸の前には、十社の思い出がぎっしり詰まった分厚い取材ノートを大切そうに抱きしめている。
「ええ。清めの水を浴びながら巨大な神輿が練り歩くこの祭りは、まさに江戸の情熱そのものです。水に濡れるのを厭わない人々の笑顔が素晴らしいですね」
木々模様のジャケット姿の佐久間が、いつものように自然な所作でヤヨイのカメラバッグと重い機材巾着をサッと片肩へ背負い直した。そして、賑わう人波からヤヨイを守るように風上に立つと、静かに左腕を差し出した。
「さあヤヨイさん。人波に気をつけて参道へ進みましょう」
「ええ……っ! ありがとう、佐久間君!」
ヤヨイは頼もしそうに佐久間の腕へ手を重ね、賑わう鳥居をくぐった。 参道に入ってすぐ右手に佇んでいたのは、測量器具を手に力強く歩み出す一人の男の銅像——『伊能忠敬像』であった。
「伊能忠敬様……! 五十歳を過ぎてから天文学を修め、前人未到の日本地図作りのために全国へ測量旅に出かけた偉大な挑戦者ね」
「はい。伊能忠敬はここ深川の黒江町に居を構え、測量旅に出発する際は必ずこの富岡八幡宮へ参拝し、無事と成功を祈願しました。まさに『挑戦と旅立ちの神様』です」
佐久間は銅像を見上げると、隣に立つヤヨイの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ヤヨイさん。赤坂氷川神社から始まった僕たちの『東京十社めぐり』の旅も、今日この富岡八幡宮でついに最後の十社目を迎えました。伊能忠敬がここから新しい地図を描き始めたように、今日ここは、僕たちの新しい未来への『旅立ちのスタートライン』です」
「新しい未来へのスタートライン……っ! 佐久間君、なんだか胸が熱くなって、目頭がじんと熱くなっちゃうわ……!」
第2節:江戸勧進相撲の聖地と、手渡された『勝守』の誓い
二人は清らかな手水舎で手を清め、重厚で絢爛豪華な本殿前へ。応神天皇(八幡神)に深く頭を下げ、東京十社を無事に巡りきれた感謝と、これからの二人の歩みを祈願した。
参拝を終えた二人が向かったのは、境内奥に鎮座する圧倒的な存在感を放つ『横綱力士碑』であった。 高さ三・五メートル、重量二十トンに及ぶ巨大な石碑には、初代・日ノ下開山から歴代横綱の名が刻まれている。
「すごいわ……! この重厚感と圧倒的な威厳……! 貞享元年にここで幕府許しの『江戸勧進相撲』が始まって、今の大相撲の歴史が作られたのね」
「ええ。歴代の横綱たちが頂点に立ち、勝負の鬼となって打ち立てた威厳が今もこの境内に満ちています。まさに人生の大一番に勝利をもたらす聖地です」
佐久間はそう言うと、授与所で拝受していた特別な授与品を取り出した。黒地に金の刺繍で「勝」と力強く躍る『勝守』である。 佐久間はそのお守りをヤヨイの細く華奢な手のひらにそっと乗せると、そのまま彼女の指先ごと、自身の大きな手でガチッと力強く包み込んだ。
「あ……佐久間君……っ?」
手を通して直に伝わる、佐久間の熱い体温と力強い脈動。ヤヨイの胸がドクンと大きく跳ね上がった。
「ヤヨイさん。人生の大一番に勝利を授けるこの勝守と、歴代横綱の碑の前で誓わせてください。東京十社の旅を支えてくれたあなたのために、僕はこれからも立ちふさがるどんな試練やトラブルにも勝ち続ける『最高のプロデューサー』であり続けます。そして……僕の人生の横綱——一番大切な最高峰の主役は、一生ヤヨイさん、あなただけです」
「……っ、もう! 深川八幡祭りの熱気と横綱の碑の前で、そんな真っ直ぐで男前な瞳で見つめながら誓ってくれるなんて……っ。どこまでもズルいのよ。胸が熱くなって、丸眼鏡が嬉しさで曇っちゃうじゃない。……あなたという最高のパートナーが横綱として守ってくれるなら、私、どんな未来へだって堂々と胸を張って進んでいけるわ!」
二人を包み込む夏の参道風と、祭りの活気。ヤヨイは丸眼鏡の奥の涙をそっと拭うと、佐久間の手をキュッと握り返した。
第3節:深川めしの至福と、完走のハッピーエンド
参拝を終えた二人は、門前仲町の賑やかな参道沿いにある老舗和食店へと足を踏み入れた。 注文したのは、深川の名物として名高い『深川めし』である。
「お待たせいたしました、深川めしでございます」
運ばれてきたお重の蓋を開けると、ふっくらと煮立てられたアサリと甘い長ネギ、出汁の香ばしい湯気がふわりと立ち上った。
「はぁ〜っ……! なんて芳醇で美味しそうな香りなのかしら……! いただきます!」
ヤヨイが木のスプーンで一口頬張る。アサリの豊かな旨味とコクのある出汁が口いっぱいに広がり、思わず頬が緩んだ。
「んん〜っ……! あさりの旨味がご飯の芯まで染み込んでいて、涙が出そうなくらい美味しいわ……っ! 酷暑の参拝のあとにいただくこの温かい味わい、心も体もじんわり満たされていくようね」
「ええ。深川の漁師たちが愛したこの深川めしは、旅の疲れを癒やし、新たな力を与えてくれる至高の味わいですからね」
佐久間が優しく目を細め、ヤヨイのお茶に温かいお湯を注ぎ足す。
「ヤヨイさん。赤坂氷川神社、日枝神社、品川神社、根津神社、神田神社、亀戸天神社、白山神社、王子神社、そして富岡八幡宮……二人で紡いだ『東京十社めぐり』は、最高の形で完結しましたね」
「ええ……っ! 私のノートは、佐久間君と一緒に発見した歴史のロマンと、あなたの優しさ、そして最高の感動の言葉でいっぱいよ! このコラムを読んだたくさんの人が、きっと自分だけの十社巡りに出かけたくなるわ!」
「素晴らしいですね。ヤヨイさんの言葉は、いつでも人々の心を明るく照らしますから。……さあ、十社の完走を祝して、これから僕たちの『まとめストーリー』の執筆に取りかかりましょう」
「ええ! あなたと一緒に紡ぐ最高のフィナーレと新しい物語、これからもずっと隣でエスコートしてね、佐久間君!」
「もちろんです。一生、あなたの隣であなたを輝かせ続けます」
深川の街に響き渡る祭りの熱い掛け声と、鳥居を吹き抜ける夏の爽やかな風。 伊能忠敬の「挑戦」と横綱の「勝利」の神徳に見守られた二人の絆は、東京十社めぐりの完走とともに、決して解けることのない最高の愛となって、新たな未来へとどこまでもまっすぐに結ばれていくのだった。

