第七章:亀戸天神社(巡る四季の太鼓橋と、紫藤に咲く未来の誓い)
第1節:夏の残暑と冷涼なる蕎麦、境内に隠れる「塩犬様」

始まりは、蝉時雨が降り注ぐ八月末日のことだった。 夏の強い陽射しがアスファルトを照らしつけるなか、チームケロのライター・ヤヨイとプロデューサー・佐久間学の2人は、錦糸町駅から都営バスに揺られ、「亀戸天神前」へと降り立った。
「はぁ〜っ……! 佐久間君、やっぱり夏の参拝は汗がダラダラ吹き出ちゃうわね……! でも、鳥居をくぐって境内の緑の木陰に入ると、すうっと冷たい風が通り抜けて気持ちがいいわ」
白地に朝顔模様のワンピースを纏ったヤヨイが、丸眼鏡の位置を直し、汗をハンカチで拭いながら吐息をついた。 参拝を終えた二人は、猛暑から逃れるように門前のみずみずしい老舗蕎麦屋へと滑り込み、出された冷たいお水と、コシのある冷やし盛り蕎麦を口にした。
「んん〜っ……! 喉を通り抜ける冷たなお水と、香ばしいお蕎麦の美味しさ……っ! 身体の火照りがすうっと引いていって、生き返る心地だわ……」
「ええ。酷暑のあとの冷水とお蕎麦は、まさに天神様からの至福のご褒美ですね」
木々模様のジャケット姿の佐久間が優しく微笑み、ヤヨイのお冷やのグラスに静かに冷水を注ぎ足す。 そして秋の気配が深まった頃、二人は再び亀戸の地を訪れていた。目的は、夏の静寂では見落としてしまっていた、弁天社の傍らにひっそりと佇む隠れた霊石——「塩犬(おいぬ様)」であった。
「あ……佐久間君、あったわ! 境内の目立たないところに、知る人ぞ知る佇まいで座っていらっしゃるわ……!」
ヤヨイが声を弾ませる。二人は置かれた塩を手に取ると、自分たちの健康と身体健全、病気平癒を願って、石像の体に優しく塩を塗り込んだ。
「自分の傷むところや病気平癒を願って塩を塗り込む……江戸の人々の健やかな暮らしへの祈りが、この静かなお犬様に今も宿っているのね」
「ええ。ヤヨイさんがこれからも健やかに素晴らしい文章を紡いでいけるよう、僕も深く祈願しました」
第2節:菊香る十一月の七五三、そして一月の「鷽替え」と受験生の祈り
季節は巡り、十一月。境内は華やかな菊の花の香りに包まれ、七五三の晴れ晴れとした熱気に満ちあふれていた。
心字池に架かる第一の太鼓橋『男橋』のたもとでは、色鮮やかな着物を纏った幼い子供たちが、誇らしげにポーズをとって記念撮影を行っている。カメラを構える両親や祖父母たちの温かな笑顔があり、撮影を待つ家族の微笑ましい列ができていた。

「見て、佐久間君……っ! 太鼓橋の上でモデルさんみたいにポーズをとるあのお子さん、なんて愛らしいのかしら……! 8月の静かな参拝も深みがあったけれど、この秋の菊まつりと七五三の賑わいは、胸がキュンと温かくなるわね」
「ええ。過去・現在・未来を表す三つの太鼓橋が、子供たちの健やかな未来を祝福しているようです」
佐久間が自然な所作で左腕を差し出し、ヤヨイはその腕に頼もしそうに手を重ねた。
そして寒風が吹き抜ける一月。菅原道真公(天神様)を祀る亀戸天神社は、緊張感と切実な祈りの気に満ちていた。 一月二十四日・二十五日にのみ執り行われる特殊神事『鷽替え(うそかえ)神事』。境内には、この二日間しか授与されない幸運を呼ぶお守り「鷽(うそ)をかたどった木彫りの縁起物」を求めて、早朝から多くの参拝客が列をなしていた。
授与所で無事に職人手彫りの木彫りの鷽鳥を授かった二人は、境内を行き交う受験生やその家族の姿に目を留めた。 絵馬掛けには、びっしりと書かれた「合格祈願」の文字。震える手で真剣に手を合わせる制服姿の受験生と、その背中を愛おしそうに見守る母親の姿。
「みんな、真剣な瞳をしているわね……。自分の将来をかけて必死に机に向かった、あの頃の自分の姿が思い出されるわ……」
ヤヨイがどこか懐かしそうに、そして慈しむように目を細めた。
「ええ。不安と闘いながら努力を重ねた日々は、誰の人生にとってもかけがえのない財産です。……ヤヨイさん、この木彫りの鷽鳥は『これまでの悪いこと(災いや不安)をすべて嘘(うそ)にして、吉(幸福)に取り替える』という強い開運の意味があります」
佐久間は授かったばかりの愛らしい木彫りの鷽鳥をヤヨイの手のひらに乗せると、その上から自身の大きな手でガチッと力強く包み込んだ。
「あ……佐久間君……っ」
「誓わせてください。ヤヨイさんが言葉を紡ぐ中で抱く不安や挫折、あらゆる試練も、僕がすべて『嘘(吉)』に変えて、最高の幸せへと取り替えてみせます。受験生たちが努力の末に春を掴み取るように……僕たちの未来も、どこまでも明るい光に満ちています。……僕の人生の主役は、一生ヤヨイさん、あなただけです」
「……っ、もう! 極寒の境内で、そんな真っ直ぐで男前な瞳で見つめながら誓ってくれるなんて……っ。どこまでもズルいのよ。胸が熱くなって、丸眼鏡が曇っちゃうじゃない。……あなたという最高の守護神がいるなら、私、どんな未来だって愛おしく掴み取っていけるわ!」
第3節:四月の風、新生活のうきうきと咲き誇る紫藤の誓い

やがて、厳しい冬が明け、うららかな四月がやってきた。 受験を見事乗り越え、桜咲いた新入生や、パリッとしたスーツに身を包んだ新入社員たちが、うきうきとした晴れやかな笑顔で境内を行き交っている。
そして、心字池の周りに広がる巨大な藤棚には、見事な紫色の藤の花が滝のように垂れ下がり、甘く優雅な香りを境内に漂わせていた。風が吹くたびに揺れる紫の藤の花束と、その向こうにそびえる東京スカイツリーの現代的なコントラスト。
「はぁ……っ! 佐久間君、見てちょうだい……! 藤まつりのこの紫の花の美しさ……! 新入学や新社会人のみなさんの晴れやかな笑顔と相まって、境内に春の喜びが溢れ出しているわね……!」
新緑と紫藤の光の中で、ヤヨイが丸眼鏡の奥の瞳を虹色に輝かせた。
「ええ。厳しい冬を乗り越えて咲き誇るこの藤の花こそ、努力が実を結んだ証です。……ヤヨイさん、僕たちが渡ってきた過去の男橋、現在の平橋、そして未来の女橋。僕たちが歩むこれからの旅路は、この藤の花のようにどこまでも華やかで美しく咲き誇ります」
佐久間はヤヨイの細い指先に自身の指を優しく絡ませ、熱い手をギュッと握り直した。
「さあ、ヤヨイさん。参拝のあとは、門前の老舗『船橋屋』さんで、名物のくず餅をいただきながら、あなたのノートにこの素晴らしい四季の言葉を刻みましょう」
「ええ! 8月の蕎麦の美味しさも、塩犬様のぬくもりも、七五三の笑顔も、冬の鷽替えの誓いも、そしてこの春の紫藤も……全部全部、あなたの隣でノートに刻んでいきたいわ! 次の神社へ向かう旅路も、ずっと私を離さないでね、佐久間君!」
「もちろんです。一生、あなたの隣から離れません」
心字池を渡る春の爽やかな風と、紫藤の優雅な香り。 過去・現在・未来を渡る三つの太鼓橋と、天神様の『鷽替え』の誓いに守られた二人の絆は、めぐる四季とともにどこまでも深く、そして永久(とわ)に結ばれていくのだった。

