西澄寺(東京都世田谷区下馬)参拝Story

最澄寺、近藤君とみゅみさん 長編(フィクション)
最澄寺、近藤君とみゅみさん

「東急世田谷線沿線、神社・お寺参拝の旅」

十一月初旬の世田谷は、抜けるような秋晴れの高い青空が広がり、乾燥した澄んだ大気が街路樹の葉先を鮮やかに際立たせていた。

東急田園都市線と世田谷線が交差する三軒茶屋駅。週末のショッピング客やカフェ巡りを楽しむ若者たちで活気あふれるキャロットタワー前の広場を抜け、南側の玉川通りを渡ると、街の表情は急激に落ち着きを取り戻していく。かつてこの一帯の水田や畑を潤し、現在は緑豊かな遊歩道として整備されている「蛇崩川(じゃくずれがわ)緑道」へ足を踏み入れると、車の走行音はすっと遠のき、足元でカサリと乾いた桜の落ち葉が鳴った。

「近藤君、見て! 緑道の木々が黄色やオレンジに色づいて、木漏れ日のトンネルみたいになってるよ!」

まゆみは淡いキャメル色のニットカーディガンのポケットから手を出し、秋風に揺れる梢を仰ぎ見ながら弾むような足取りで進んだ。首から提げた一眼レフのストラップを軽く整え、もう一方の手には今回の世田谷線沿線巡り全六カ所――西澄寺、駒繁神社、世田谷観音、世田谷八幡宮、豪徳寺、松陰神社――の行程が色鮮やかな付箋で整理されたバインダーをしっかりと抱えている。

「まゆみさん、テンション上がるのはいいけど、歩道脇の段差に気をつけてね。……三軒茶屋から下馬にかけては、目黒川水系の蛇崩川が削り出した谷戸(やと)地形が入り組んでいるんだ。高台の住宅街から一段下がったこの緑道沿いは、昔から水と緑が豊かな特別な場所だったんだよ」

近藤正二は首から提げたカメラの露出ダイヤルを小気味よくカチカチと合わせながら、手元の取材シートをめくった。乃木神社、牛嶋神社、大國魂神社、高幡不動尊と四つの大型取材を積み重ねてきたことで、機材のセッティングや周囲の光を読む所作には、かつての頼りなさは影を潜め、確かな取材ディレクターとしての風格が漂い始めている。

「そうなんだ……! 三茶っておしゃれで賑やかなイメージが強かったけど、一歩路地に入るだけでこんなに地形の起伏と自然が残ってるんだね」

「うん。そして、その下馬の閑静な住宅街の懐にひっそりと佇んでいるのが、今日最初の目的地――西澄寺だ」

緑道のスロープを上がり、手入れの行き届いた生垣が続く住宅街の一角へ曲がると、突如として厳かな空気を放つ木造の山門が姿を現した。

「東光山 西澄寺(さいちょうじ)」。真言宗智山派に属し、大日如来を本尊とする古刹である。玉川八十八ヶ所霊場第四十五番札所、そして世田谷二十九観音霊場第七番札所としても名を連ねる名刹だ。

山門を一歩くぐり抜けた瞬間、二人は思わず足を止め、同時に息を呑んだ。

「……っ、すごい。外の住宅街の気配が、一瞬で消えちゃったみたい」

まゆみが感嘆の声を漏らす。 二人の目の前に広がっていたのは、驚くほど端正に掃き清められた白砂と、瑞々しい苔の島、そして絶妙なバランスで配置された庭石が織りなす「枯山水庭園」だった。

白砂の表面には、波のうねりを表現した幾重もの砂紋が職人の手によって完璧な美しさで刻まれている。庭の片隅に植えられたカエデは葉先から鮮やかな朱色に染まり始め、秋の柔らかな斜光を透かしてきらきらと輝いていた。そして、その見事な白砂のキャンバスの中央に、一枚の赤いモミジの落ち葉が、まるで計算されたように静かに舞い落ちていた。

「西澄寺の創建は室町時代末期から戦国時代にかけてと伝えられている。かつてはこの下馬・上馬一帯の修験や祈祷の道場としての役割も果たしていたそうだ。派手な観光寺院ではないけれど、この手入れの行き届いた枯山水と木造本堂の佇まいは、世田谷の隠れた名庭園と言われているんだよ」

近藤は腰を深く落とし、広角レンズを装着したカメラのファインダーを覗き込んだ。

「チーコさんや蒼井さんから教わった通り、枯山水を撮るときは砂紋の立体感を殺さない光の角度が一番重要だ。十一月の午前中、太陽がまだ少し低い位置にある時間帯は、砂の溝に細い影が落ちて陰影が際立つ。……そして、あの落ちた一枚のモミジにピントを合わせつつ、奥の本堂の唐破風を背景にぼかす」

カシャ、と静寂に包まれた境内に乾いたシャッター音が響いた。

液晶画面を確認したまゆみが、目を輝かせて近藤の腕を軽く叩いた。

「すごいよ近藤君! 白砂の白と、苔の深い緑、それにモミジの赤のコントラストがめちゃくちゃ鮮やか。静けさそのものが写真から伝わってくるよ」

「ありがとう。手入れをされているお寺の方の心が、この砂紋ひとつひとつに宿っているからこそ、撮らせてもらえた画だよ」

二人は手水舎で清らかな水を手にとり、本堂の正面へと進んだ。 唐破風の屋根が優美な曲線を描く本堂の前で、静かに手を合わせ、深く一礼する。

堂内から微かに漂ってくる白檀のお線香の香りと、秋風にサヤサヤと鳴る梢の葉音が、二人の心を奥底から穏やかに解きほぐしていく。

最澄寺、近藤君とまゆみさん

「大日如来様は、宇宙のあらゆる命をあまねく照らす根本の仏様……。六カ所を巡る長い取材の始まりに、こうして心を静めてスタートできるのって、すごくありがたいね」

まゆみは手を合わせたまま、そっと微笑んで呟いた。

「普段、時間に追われて忙しく暮らしている読者の人たちにこそ、この『世田谷の住宅街にある本物の静寂』を届けたいな。足を止めて深呼吸するだけで、こんなに心が整う場所があるんだよって」

「ああ。派手な見どころだけを並べるんじゃなくて、この場所が持つ『空気の透明感』を言葉と写真で丁寧に掬い上げよう」

境内の一角に佇む六地蔵や弘法大師の修行像にも手を合わせ、二人は寺務所で玉川八十八ヶ所霊場の端正な御朱印をいただいた。

「よし、まゆみさん。次は歩いてすぐの駒繁神社だ。源頼朝ゆかりの歴史と、世田谷の土地の記憶を辿りに行こう!」

「うん! 秋の世田谷線めぐり、最高のプロローグになったね。行こう!」

色づく木漏れ日を背に受け、二人は充実した笑顔を交わし、次なる歴史の舞台へと軽やかな足取りで歩き出していった。

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