第五章:品川神社(親子カエルのまなざしと、品川富士に咲く一粒万倍の誓い)
第1節:新馬場から双龍鳥居、大黒天様と階段の親子カエル

五月中旬の抜けるような爽快な青空。初夏の陽光が、かつて東海道第一の宿場町として栄えた品川の街並みを鮮やかに照らし出していた。
京浜急行線の新馬場(しんばんば)駅北口を出て、目の前の道路を渡ると、そこに広がるのは品川神社の重厚な入口であった。
「はぁ……っ! 佐久間君、見てちょうだい……! 大鳥居の石柱に、こんなにも立体的な龍が刻まれているなんて……!」
白地に朝顔模様があしらわれた涼やかなワンピースを纏ったヤヨイが、細い指先で丸眼鏡の角度をそっと直しながら感嘆の声を上げた。愛用の取材ノートとカメラの入った巾着を、両手で強く抱きしめている。
「左の柱には天へ昇る昇り龍、右の柱には降り龍……。東京に三つしか存在しないという『双龍鳥居(そうりゅうとい)』の躍動感、本当にすごいわね。大鳥居の脇に鎮座する東海七福神の大黒天様のお顔も優しくて、足を踏み入れるだけで福徳が授かりそうだわ」
「ええ。源頼朝公が海上安全を祈り、徳川家康公が関ヶ原の戦いへ向かう際に勝鬨をあげた天下の勝運スポットです。ヤヨイさん、この急な石段を上っていきましょう」
木々模様のジャケット姿の佐久間が、ヤヨイの重い機材巾着をサッと片手で肩に背負い直し、歩幅を合わせてそっと左腕を差し出す。ヤヨイは嬉しそうにその腕に手を重ね、一歩ずつ石段を上り始めた。
その途中——ふと左手の品川富士の麓へと視線を落としたヤヨイが、可愛らしい発見に声を弾ませた。
「あら……っ! 佐久間君、見て! 石段の途中の左下……品川富士の脇のところに、子ガエルを背中にちょこんと乗せた親カエルの石像が座っているわ……! 上から見下ろすと、親子で境内を見守っているみたいで、たまらなく愛らしいわね」
「本当ですね。東海道の宿場町として『無事に帰る』『大切な人のもとへ帰る』旅人の無事を祈ってきたカエル像です。……ヤヨイさん、上りきった先が鳥居と本殿です」
第2節:赤き本殿参拝と、千本鳥居の白無垢姿

石段を上り切り、鳥居を潜ると、新緑の木々に映える鮮やかな朱塗りの本殿(社殿)が堂々と佇んでいた。二人は深く頭を下げ、江戸時代から続く品川宿の歴史と神気に身を包まれる。
参拝を終えて本殿の右手へと目を向けると、そこには朱塗りの鳥居がずらりと連なる『千本鳥居』が伸びていた。
「本殿の右手に、こんなに幻想的な千本鳥居があるのね……」
二人が千本鳥居の朱の隧道へ足を踏み入れたその時——鳥居の出口付近で、5月の陽光を受けた純白の光がキラリと揺れた。 和装の白無垢を身に纏った美しい新婦様と、紋付袴姿の新郎様が、カメラマンの前で幸せいっぱいの笑顔で結婚式の写真撮影を行っていたのだった。
「あら……っ! 5月のこんな抜けるような青空と千本鳥居の朱色の下で、白無垢姿の前撮りだなんて……! なんて美しくておめでたい光景なのかしら。私たちまで最高の幸せのおすそ分けをいただいた気分ね、佐久間君」
「ええ……本当に素晴らしい景色です。……僕たちもいつか、こんな風に……」
「え……? い、いま何か言ったかしら、佐久間君……っ?」
不意に聞こえた佐久間の低く甘い呟きに、ヤヨイの胸がドクンと大きく跳ねた。丸眼鏡の奥の瞳を潤ませながら、照れ隠しに取材ノートをぎゅっと抱きしめ直す。
第3節:阿那稲荷・一粒万倍の泉での銭洗い体験

新婚さんの幸せな余韻に包まれながら、二人は千本鳥居の先にある『阿那稲荷神社』へ。上社をお参りした後、薄暗い石段を下りて地下の下社へと向かった。 そこは、都心の地上とは思えない静寂と神秘に満ちた洞窟のような空間であった。奥には、湧き出る清らかな霊水『一粒万倍(いちりゅうまんばい)の泉』が美しい水面をたたえている。
泉の周りでは、数人の参拝客が静かに銭を洗い清めていた。
「『一粒の籾が万倍に実る』と言われる霊泉ね……。あのお客さんたち、ザルにお金を入れて丁寧に洗っていらっしゃるわ」
「ええ。洗ったお銭の一部を門前で使うと、万倍の福徳となって返ってくると言われています。ヤヨイさん、僕たちもやってみましょう」
佐久間は優しく促すと、二人でザルにコインを乗せ、先客の所作を見真似しながら、そっと綺麗な霊水の中へと浸した。 チャプン……と清らかな水音が洞窟内に響き、透き通った水がコインを洗い流していく。
「見て、佐久間君……! 本当に澄み切ったきれいな泉ね。こうしてお金を洗っていると、自分の心まで洗われて、新しい幸せが万倍に膨らんでいくような清々しい心地がするわ」
「ええ。ヤヨイさんと一緒に洗ったこのお銭は、僕たちにとって特別な『福銭』になりますね」
第4節:品川富士への挑戦と、パノラマ絶景の誓い

阿那稲荷を下り、再び品川神社本殿の前へと戻ってきた二人。 ここでいよいよ、今回の参拝のクライマックスである『品川富士』への登頂挑戦である。
「さあ、佐久間君! 本殿もお稲荷様も参拝して、お銭も綺麗に洗ったことだし、仕上げに品川富士へ挑戦しましょう!」
「はい。しっかり整備された登山道ですから、焦らず登りましょう。僕が後ろから支えます」
1合目、5合目と合目石を辿り、溶岩石のゴツゴツとした岩場を踏みしめていく。しっかりと整備された道は見た目以上に歩きやすく、二人は苦もなくスイスイと山頂へと辿り着いた。
そして——山頂に立った瞬間、ヤヨイの視界が一気に開けた。
「はぁ……っ! すごい……! なんて素晴らしいパノラマ絶景なのかしら……!」
5月の澄み切った青空のもと、目の前には品川の街並みと広大な空がパノラマとなって広がっていた。そしてすぐ眼下を、真っ赤な京急線の電車がガタゴトと軽快な音を立てて風を切るように走り抜けていく。
「山頂からのこのパノラマ景色と5月の青空……! 苦もなく登れた達成感も相まって、胸がすうっと晴れ渡るようね! 思わずパノラマ撮影で夢中になっちゃったわ!」
少女のように瞳を輝かせるヤヨイ。その横顔を、佐久間は愛おしそうに見つめると、そっと彼女の手を包み込んだ。
「ヤヨイさん。石段の途中で見下ろしたあの親子カエルのように……『大切な人のもとへ無事に帰る』ことが、僕の人生のすべてです」

「え……佐久間君……?」
「僕がどんな仕事へ向かおうと、どんな荒波に揉まれようと……僕が無事に帰り着く場所は、一生ヤヨイさん、あなたの隣だけです。一粒万倍の泉で清めたこの想いのように、僕があなたを愛し支える気持ちは、万倍になって永遠に膨らみ続けます」
「……っ、もう! 5月の青空とパノラマ絶景の山頂で、そんなプロポーズみたいな言葉……っ。どこまでもズルいくらいに男前なんだから。丸眼鏡が嬉しさで曇っちゃうじゃない。……私だって、あなたが無事に帰ってくる場所は、ずっと私の隣だけよ!」
千本鳥居を吹き抜ける風と、品川富士の山頂を渡る爽やかな青空。 双龍の昇運と一粒万倍の福徳、そして親子カエルが見守る誓いに彩られた二人の絆は、未来へ向かってどこまでも強く、永遠に続いていくのだった。

