乃木神社(東京・赤坂)Private参拝ストーリー

乃木神社、参道 長編(フィクション)
乃木神社、参道

第一部:補足取材ストーリー

――赤坂の稜線と、受け継がれる古道の記憶――

Private_佐久間とやよい
Private_佐久間とやよい

七月最後の夕闇が、赤坂の谷筋を藍色に染め始めていた。

乃木坂駅の改札前で近藤とまゆみを見送ったあと、佐久間学はカーキ色のジャケットの襟元をわずかに緩め、境内へと続く石段を再び見上げた。手元には、後輩二人が残していった取材メモのコピー。そこには、初めてのメイン担当に緊張しながらも懸命に走った二人の熱量が、乱れた筆跡のまま刻まれていた。

「ふふ、二人とも顔が真っ赤だったね。緊張と暑さで倒れちゃうんじゃないかって心配したけど、いい表情で帰っていったわ」

背後から、軽やかな足音とともに涼やかな声が降ってきた。 ベージュの麻のロングスカートを揺らし、丸眼鏡の奥の瞳を悪戯っぽく細めたやよいが、冷えたペットボトルの緑茶を佐久間の頬にぴと、と押し当てる。

「冷たっ……やよいさん、からかわないでください」

「はい、お疲れ様。先輩プロデューサー兼歴史アドバイザーさん。後輩の初陣を見届けて、肩の荷が下りた?」

「いや……あいつらのメモを見ていたら、いくつか補足しておくべき歴史の文脈が浮かんでしまって。まだ社務所の灯りが落ちる前にもう一度、境内を歩いておきたかったんです」

「もう、佐久間さんは本当に真面目なんだから」

やよいは可笑しそうに笑いながらも、自然な所作で佐久間の半歩先へと進み出た。

「でも、付き合うよ。近藤君たちの真っ直ぐなレポートに、佐久間さんの重厚な歴史の骨組みが加われば、TeamKeroとして最高の記事になるもんね」

二人は再び、誰もいなくなった夕暮れの境内へ足を踏み入れた。

昼間の蝉時雨はいつの間にか遠のき、頭上の「つれそひ風鈴回廊」が、夜風を孕んでカラリと低く澄んだ音を立てる。橙色の境内灯が灯り始め、薄暗がりの中に浮かび上がる拝殿の檜皮葺の屋根は、昼間の端正さとは異なる荘厳な陰影を帯びていた。

「佐久間さん、さっき近藤君たちが熱心に見ていた旧乃木邸の厩舎……あそこ、ただの馬小屋以上の意味があるんでしょ?」

やよいが問いかけると、佐久間は待っていましたとばかりに眼鏡の位置を直し、小さなショルダーバッグから取り出した古地図の写しを広げた。

「ええ。乃木将軍がこの地に本邸を構えた明治三十年代、この赤坂・乃木坂一帯は武家屋敷の跡地が入り組む起伏の激しい台地でした。外苑東通り側から見ると高台に見えますが、神社の背後は赤坂の谷へと落ち込む急斜面になっている。……たぶん、この道は江戸時代、大名屋敷の境界を守る抜け道だったはずです」

佐久間は指先で古地図の等高線をなぞりながら、静かに言葉を重ねる。

「将軍はフランス軍の野戦築城や騎兵戦術に精通していた。だからこそ、自分の居館は質素な木造で済ませても、軍馬を収める厩舎だけは耐火・耐震性に優れた赤炭煉瓦を英国積みで組ませた。単なる動物愛護ではなく、有事の際に軍馬と拠点を守るという、武人としての冷徹なまでのリアリズムがこの境内の配置に刻まれているんです」

「なるほどね……」

やよいは手にした取材ノートにさらさらとペンを走らせる。

「近藤君たちが感じ取った『優しさと誠実さ』の裏側には、そういう軍人としての研ぎ澄まされた覚悟があったんだ。二つの視点が重なると、乃木将軍という人の輪郭がぐっと立体的になる」

「近藤もまゆみも、現場の空気を感じ取る感性は十分に育っています。あとは僕たちが、その感性を支える『確かな事実の足場』を組んでやるだけです」

「うん。いい先輩になったね、佐久間さん」

ふいにやよいから柔らかな笑顔を向けられ、佐久間は誤魔化すように咳払いを一つして、本殿に向き直った。

第二部:完全プライベートストーリー

――青山通りへ抜ける風と、二つの木箱――

Private_佐久間とやよい
Private_佐久間とやよい

「さて! お仕事の補足取材はここまで」

鳥居を出て外苑東通りへ戻った瞬間、やよいがくるりと佐久間の方へ振り返り、両手を腰に当てて宣言した。

「え……でも、まだ赤坂王子稲荷の勧請ルートの資料確認が……」

「それは明日オフィスでケロさんとやればいいの。時計を見てごらん? もう十九時半。すっかり夜風が気持ちいい時間だよ」

やよいは佐久間の返事を待たずに、軽やかな足取りで乃木坂の緩やかな坂道を青山一丁目方面へと歩き始めた。

「佐久間さん、付き合って。取材の合間に見つけて気になってたカフェがあるの。あそこのテラス席、夜は静かで風が抜けて最高なんだから」

「……断っても、どうせ連れて行かれるんですよね」

「ふふ、よく分かってるじゃない。年上のお姉さんの誘いは素直に受けるものよ」

悪戯っぽく微笑むやよいの後ろ姿を、佐久間は苦笑混じりに追いかける。仕事の現場では冷静沈着なプロデューサーとして頼りにされる佐久間も、二歳年上で人生の機微に長けたやよいの前では、どうしても主導権を握られてしまう。だが、その心地よい引っ張られ感を、佐久間自身決して嫌悪してはいなかった。

青山通りへと抜ける静かな裏路地のテラス席。注文した冷たい水出しのアールグレイとアイスカフェラテが運ばれてくると、やよいはバッグの中から小さな桐箱を取り出し、テーブルの上にことんと置いた。

「これ……さっき境内の授与所で受けていたやつですか?」

「そう。『よりそひ守』と『つれそひ守』。記事用の物撮りサンプルとしてケロさん経由で預かったんだけど……ねえ、佐久間さん」

やよいは頬杖をつき、丸眼鏡の奥の瞳を細めて佐久間の顔をじっと覗き込んだ。

「佐久間さんはさ、もし自分が誰かと人生を共にするなら、どっちのお守りの気分?」

「……唐突ですね。どういう意図の質問ですか」

「意図なんてないよ。ただの世間話。新郎新婦の晴れ姿をかたどった『よりそひ守』みたいに、初々しく情熱的に寄り添うのか。それとも、年月を積み重ねて落ち着いた色合いの『つれそひ守』みたいに、空気みたいに静かに隣にいるのか。佐久間さん、どっちが似合うかなって思って」

佐久間は視線を泳がせ、アイスラテのグラスについた水滴を指先で拭った。

「……僕のような人間は、誰かをリードするような派手な生き方はできませんから。歴史の記録と同じで、何年も、何十年も変わらない事実を静かに積み重ねていくような……そういう関係性しか築けないと思います。だから強いて言うなら、後者でしょうね」

淡々と、しかし嘘偽りのない誠実さで答える佐久間を見て、やよいはふっと満足そうに口元を綻ばせた。

「やっぱりね。佐久間さんらしい答え」

「やよいさんはどうなんですか」

「私? 私はね――」

やよいは桐箱にそっと指先を滑らせ、夜空に浮かぶ三日月を見上げた。

「背中を預け合える関係がいいかな。お互いに自分の足で立って、自分の目で世界を見ながら、ふと横を見たときに『今日もいい風だね』って笑い合えるような。……佐久間さんとこうやって歩いてる時間みたいにね」

「……っ」

不意打ちのような言葉に、佐久間は喉元まで出かかった台詞を飲み込んだ。冷たいカフェラテのストローを咥えて視線を逸らす佐久間の耳朶が、わずかに赤らんでいるのを、やよいは見逃さなかった。

「あ、照れた」

「照れてません。夜風が少しぬるいだけです」

「嘘ばっかり。耳、真っ赤だよ」

くすくすと楽しそうに笑うやよいの横顔に、街灯の柔らかな光が落ちる。

赤坂の杜を渡ってきた風が、二人のテーブルを優しく撫でて通り抜けていった。歴史の重みと、後輩たちの成長と、そして言葉にできない二人の距離感。夏の夜の静けさの中で、二つの木箱が静かに月光を反射していた。

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